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現実、とはなんですか?

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現実、とはなんでしょう?
見ること感じること聞くこと・・などの五感から感じ取れることを言うのでしょうか。

普通、目で見て、耳で聞き、鼻で嗅いでいる、と思いますが、例え熟睡した夢の中でも、現実と錯覚した夢を見れます。
実際は布団の中で目はつむっているのに何故見えているんでしょうか。

私達は夜夢を見て、朝目覚めても夢の中です。

本当の現実とは、どこかにあるものですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「現実」について

有未様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「現実、とはなんでしょう?」・・

普段、私たち凡夫が認識して知りえている世界のありようの中において、多くの者たちによって真実、常識として世間一般において認められているモノ・コトというものが、一応、世俗的な「現実」というものにはなります。

「見ること感じること聞くこと・・などの五感から感じ取れることを言うのでしょうか」・・

それぞれ五感と意識と併せての六感から入ってくる情報というものは、六根・六境・六識といった条件を通じて得られているものであり、真に現実そのものというわけではないと考えることができます。

「普通、目で見て、耳で聞き、鼻で嗅いでいる、と思いますが、例え熟睡した夢の中でも、現実と錯覚した夢を見れます。」・・

目覚めている世界での体験・経験と、寝ている世界での体験・経験との大きな違いは、「効果的作用力」を有するかどうかというところであるかと存じます。

例えば、寝ている世界でいくら食べ物を食べたとしても、お腹はいっぱいになりません。あるいは、寝ている世界で車にひかれても、怪我しませんが、起きている世界ではそういうわけにはいきません。

ですので、夢の中の出来事は、やはり錯覚でしかないものであるかと存じます。

「実際は布団の中で目はつむっているのに何故見えているんでしょうか。」・・

就寝時における脳の何らかの働きが影響しているのではないかとは存じます。

「私達は夜夢を見て、朝目覚めても夢の中です。」・・

まさに、私たちは実際に起きてはいても、あるいは、寝てはいても、無明(根本的な無知)の闇の中で、真に目覚められてはおらず、いまだ寝ているようなものです。真なる目覚めへと向けて頑張って仏道を歩んで参りたいものでございます。

「本当の現実とは、どこかにあるものですか?」・・

本当の現実のありようを知るためには、仏教では空を直観で認識するレベル、つまり、空性の現量了解へと至ることが必要になると考えられております。そのための階梯が仏道であり、主には智慧と福徳の二資糧をしっかりと集積させていくことが求められるものになるかと存じております。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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それは思いの世界で描いた 現実❝らしき❞もの(思い)

ウチのお寺にお越し頂ければほっぺたを常常して差し上げます。
「痛ァアアアアア!(゚д゚;)!」
ツネツネだけに諸行無常なる、この常ならぬ、流れゆく世に、ウツツをぬかさないようになれましょう。
ウツツとは、この現世。
ウツツを抜かすような現世では目が開いているとは言えません。
本当に見えているか、本当に聞こえているか。
多分見えていないからそういう言葉が出てくるのかもしれません。
区別すべきは、寝てみる夢と、現実の中で思い起こしているイメージ世界と、あなたのイメージを除外した本当の現実の世界。
目を覚ましてください。
本当に、思いを重ねずに見てください。
私は、今電車に乗っていますが、思いの世界にうつつを抜かしていれば、駅も乗り過ごします。
我他ンゴトン。
我他ンゴトン。
我が事、他が事も、みなこの我が身のありよう。

これをみているのはだれか。
これが送信されてきたのはどこから来たのか。
送信されたこれをみているのは誰か。
これ我が事か、汝が事か。こちらの世界か、彼の世界か。
「あちら、そちら、こちら」と言っているそこに居るのは誰か。
隔てを起こすが、わが心。
唯、心造。
その心の主は、あなたである。
あなたが作ったイメージを主としていると、現を抜かす生き方となってしまいます。
ご用心ご用心。_(._. )_

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思いを付け加えないこと

目の前にある現実。夢や幻想ではないことではないでしょうか。
思いを大切にしていると現実から離れてしまいます。思いは過去や未来に平気で自由自在です。
現実には過去はありません。未来もありません。

相手がこう考えているのではないか。きっとそうだ。私のことを嫌っているに違いないと考えることは、現実ではありません。思考の世界です。
あの人より私は劣っている。と考えるのは思考です。

現実には良いも悪いもありません。悪口を言われても そこに悪い意味を付け加えているのは、その言葉を取り上げて意味をつけた本人です。現実、事実は「その言葉を言われただけ」意味はありません。

思考よる現実を大切にするとはそういうことでしょう。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

ご回答いただきありがとうございました!

五感+意識の、六感という意味ですね。

効果的作用力の件りですが、確かにその通りです。おっしゃりたいことはよくわかります。
ですが、これもまた、やはり夢の中。
死んだら何も持っていけないこと、誰もが知っています。
起きている世界では車にひかれれば死にますが、本当は死ねません。肉体はもちろん死にますが。。
魂論とは全く別の話です。

空を直感で認識するレベル、とありましたが、そこには認識できる人はいません。。
揚げ足をとるようで申し訳ありません。

邦元さま
ご回答いただきありがとうございました!
はい、思考に気を取られると、未来や過去をせわしなく行ったり来たりし、目の前のあるがままを見逃しますね。
未来や過去は思考の中にしかありません。

丹下さま
いつもご回答をありがとうございます。
あはは!もちろん体の痛みはありますよね。誰でもつねられたら痛いですよ。
ですが本当は「痛み」しかありません。
経験を所有している人、経験がひっつく場所、経験をとっておけるところ、、
それは脳の中にしかありません。。
経験は過ぎ去っては消えていきます、、

「心」というのも本当は無いです。
ですが私自身、昔は心理学にハマっていた頃もありましたので、否定的な意味で言いたいわけではありません。
あると言ったらあるし、ないといったらない。。言葉遊びをしたいわけではないです、このような表現ですみません。

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