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いつか訴えられるのではないのかという不安

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有り難し有り難し 41

私は7年前の頭頃まで、当時としても違法なとある行為に手を染めていました。今では反省しているつもりなのですが、この件でいつか訴えられるのではないのかという不安が拭えません。
あれから歳月は流れ、公訴時効の期間は過ぎましたが、民事時効の期間は発覚しない限り20年後まで続く為、まだまだ先は長いです。
これから12年と少し、ずっと訴えられる事を恐れ続けるくらいなら、いっその事自分から先方に自分の罪を明かせればとも思ったのですが、当時の記録が私の方でも不完全であり、全貌を把握しきれない為、現実的とは思えません。
この心の不安はどうすれば良いのでしょうか?
ずっと不安を抱えたまま生きていくしかないのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

罪を償うということ。

コウモリさんへ、こんにちは。

以前に、違法行為をしたことの罪の意識に心が縛られているのですね。
行った行為の業は必ず自分が受けなければなりません。それが仏教の因果応報の教えです。
罪のことに反省することは刑事罰・民事罰を受けるだけではありません。時効もまたそこまで苦しみ、あるいは逃げておびえた期間に対する時効なのです。もうその罪を相手方に償うことができなければ、今を真面目に一所懸命生きるしかありません。そして万が一つかまったらそれも人生なのです。
 
 仏さまを信じて教えを学びそして実践し、毎日懺悔を通して日々を過ごしてください。その中で心の安らぎを得ることができるでしょう。そのための信仰であり、仏教の教えなのです。

仏さまの教えを学べば、人生はやり直しができます。応援します。いつでもご相談を。がんばって!合掌

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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
時効を待つ事もまた、自身に与えられた反省の時間という事なのですね。
身に沁みました。
自分のやった事の重みを真摯に受け止め、これからまたやり直せるよう頑張ります。

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