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死後の世界

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死後の世界ってあるんでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道

六師外道で言うなら確かにお釈迦さまはアジタの唯物論を否定していますが、同時にパクダ・カッチャーヤナの霊魂不滅説も否定しています。

パクダは「この世界は地、水、火、風、苦、楽、霊魂の七元素で成り立っている」と主張しました。お釈迦さまはこれに「地、水、火、風の四元素(仏教ではこれに空を加えることもある)」と反論しました。
そしてその上でお弟子さんに「アーナンダよ、来世が無いと言えばアジタと同じ断見外道になってしまう。来世が有ると言えばパクダと同じ定見外道になってしまう。私はどちらでもない。『中道』だ。」とはっきり宣言なさっています。
この中道説は仏教徒なら確実に押さえておかねばならない超重要ワードです。入門して一番最初のテストに出るくらいの勢いです。

では中道とは何か?単純に間を取れば良いという話ではありません。お釈迦さまは有るか無いかという二元論そのものを放り投げ、『縁起説』というまったく別の切り口で心の平穏を求めなさいと説きました。
どの宗派の思想もこの縁起説を独自の表現で言い換え、それぞれの症状に応じた修行法に落とし込む形で分派しています。

実際、お釈迦さまは出家したお弟子さんには「来世のことなど考えずに今の修行をしろ!」と叱り飛ばしていますが、同時に一般の人向けには「誠実に生きなさい。そうすれば来世で楽を得るでしょう。」と説きまくっています。
両者は一見矛盾するようで実は「誠実に生きなさい」=「修行しなさい」で繋がっています。ここで誠実に生きろというメッセージで取るか、来世云々というメッセージで取るかでお坊さん各自の仏教への姿勢を読み取ることが出来ます。

話を戻しますが、このようにお釈迦さまが自分目線で語るのではなく、相手の目線に合わせて柔軟に説いたスタンスを、対機説法や応病与薬と言います。嘘も方便としてそうしたというよりは、その姿勢自体が無我の実践の形であり、縁起説の実践の形です。

死にたいほど辛い人生をどうすればいいかと考えるなら、いや、できるだけそうなる少しでも前から、可能なら子供のうちから、お坊さんの法話を聴き、縁起という考え方をフィーリングで学び(縁起説のロジックそのものを勉強しても辛さは消えにくいです)、苦を溜め込まない体質を調えましょう。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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実際に亡くなって帰ってきた人はいませんからね。わかりません。
仏教徒としての修行に死後の事は関係ありません。一日一日を大切に生きましょう。

その質問についてはお釈迦さまの「毒矢のたとえ」が有名です。調べてみましょう。

また「前世」の因縁で現在の幸/不幸があるという考え方は差別を助長します。ご注意下さい。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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仏教の答えは「ある」

優譽と申します。僭越ながら一言申させていただきます。
浅学ではありますが、私の知る上での答えは、「仏教の考えには後世はある」

お釈迦様が悟りを開かれる前に出会われた、六人の道に外れた師匠(六師外道)について伝わっています。これはお釈迦様の歴史的な意味付ではなく、仏教は六人の教えとは離れているという事を伝える為でありましょう。

その六人の中のお一人の「阿耆多翅舎欽婆羅」という方は、地水火風の4元素がすべてであると説きました。要するに、この世にあるものだけが全てという唯物論。過去も未来の世もない。この世での行いがどうあろうと、どうせ命は消えるだけ。だから、今を楽しく生きようという快楽主義でもありました。

お釈迦様はこれを外道として否定しています。
また、魂の存在も否定しています。

要するに無意識なるものが輪廻するという考え。
そこには縁起が絡んできます。

但し、私達には来世の姿など見えないですし過去の世界も見えない。
そんな事に目を向けるよりも今修行する事を強く勧めています。

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有り難し
おきもち

無学無才の愚僧です。 皆様との縁を大切にし、学ばせて頂きます。
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「論理の言葉」(モークシャーカラグプタ大師)

伝法寺隼人様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教において、弁証法によって論理的に輪廻について証明するための論証(推論)を少し紹介させて頂きましょう。

心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、たとえば現在の心のように。(必然性)

死ぬときの心も、心にかわりない。(所属性)

(だから、死ぬときの心は、次の瞬間、すなわち、次生のはじめの心と結びつく。)(結論)

・・

(各瞬間の)心は、もう一つの、それに先立つ(瞬間の)心から生じる。たとえば、現在の瞬間の心がそうであるように。(必然性)

誕生の瞬間における心も、心にかわりはない。(所属性)

(ゆえに、誕生の心は前生の心より生じる。)(結論)

論証参照・・「論理の言葉」(モークシャーカラグプタ大師・梶山雄一先生訳注)中公文庫 p126-127

・・

今の心は、一瞬前の心から生じている。その一瞬前の心がなければ、今の心はあり得ない。そこから、前世における心が無ければ、今世においての心も生じない、つまり、今世の心があるならば、その心は、来世の心にも通じることになるということであります。

ここから、死後、存続する心、心相続はありうるものだと推論することができます。

この「論理の言葉」は、仏教論理学・認識論を学ぶ上でもかなり重要な視座が散りばめられています。是非、古書しか取り扱いはありませんが、研究書としてお求めになられて、参考になさられて頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。とてもためになりました。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

有り難し有り難し 2
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ