自分の発言で人を傷つけてしまいます
よく自分の発言で人を傷つけてしまいます。
私自身その時には悪気はないんですが、家に帰って落ち着いて考えてみると、酷いことを言ってしまったなとすごく後悔することがよくあります。
先日も友人がかつて私が好きで叶わなかった相手とお付き合いすることになり、『付き合う相手があなたじゃなかったらよかったのに、最悪。』と言ってしまい、相手を深く傷つけてしまいました。
その2日後に「あの時は酷いことを言ってごめんね。」と謝罪のメールをして許してもらいましたが、こんなことばかりしてしまう自分にもう嫌気がさし、いっそ死んでしまいたいとまで思うようになってしまいました。
言葉は時に人を酷く傷つけてしまう凶器にもなってしまうことは重々承知なのですが、
頭に血が上ってしまうといつも何も考えず、思いついたまま発言してしまうのです。
このまま人を傷つけてしまうのなら、いっそ誰とも関わらずに生きていきたいとも思うのですが、そうもいきません。
私のことを一番近くで支えてくれ、理解してくれる旦那様さえも、私の発言で深く傷つけてしまい、先日も『悪気ないのはわかっているけど、さすがに傷ついたよ』と、言われてこの3日ほど口を聞いてくれなくなりました。
もうどうしたらいいのかわからなくなり、人と関わるのが嫌になってしまいました。
以前は教師をしており、人と関わるのがとても好きだったのですが、辞めてしまい今は専業主婦で極力、人と関わらないように生活するようになってしまいました。
本当に疲れてしまい、自分が大嫌いです。
どうしたらいいのかご教授ください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ことばに刃なく無く、毒無きことを覚るべし
先日、小学校の授業参観で先生が「チクチク言葉」と「ふわふわ言葉」の違いを教えていました。とても分かりやすく勉強になりました。
相手にとってとげになるようなチクチクした言葉を控えて、マシュマロほわほわな、やはらかなる言葉を使うように心がけるようにいたしましょう。
そうすれば「人を傷ける言葉だけは言わない。」「感情的にならない。」
これだけ十分でしょう。
あまり難しく考えすぎないことです。
極端なたとえですが裁判官が被告人に死刑を宣告しても「あー、オレ殺しちゃった。凹むわー。」ということがあったら、仕事になりません。いうべきことは言わなければいけません。
学校の先生も、警察官も言うべきこと、正すべきことをただし、伝えなければよくなるものもよくなりません。
友人であっても夫婦であっても、仲良くなりすぎて遠慮が無くなると礼節をかくものです。
親しき中にも礼儀あり。私もワイフに対しては地雷を踏まぬように深い禅譲の中にあって言葉を選択しています。
私もこれをお伝えする上であなたが傷つくから、あなたが凹むから、と迷っていては何も言えません。
今から申し上げることも含め、あなたがかつ売上て何かを言って相手が傷ついたということも、一番の問題はあなたがアウトプットする言葉に今、引っかかってしまっているということです。それは迷いとい
うべきもの。
言葉もパンチも公(おおやけ)においては善悪も良し悪しもありません。
私の祖父が育てていたボクサー矢吹Joeという選手がいました。力石トールさんという選手の壮絶な打ち合いの元、力石選手はリング上で仏になりました。👼
それ以来ジョー矢吹選手はあなたと同じく言葉のパンチをボクサーでありながらも相手の顔面に打てなくなりました。
言葉のパンチを繰り出す時、そこに一瞬の迷いが生じてしまうになったのです。
ですが、矢吹さんは本当はボクシングが大好きだったのです。
ルールや縛られ無しに本当にボクシングを楽しめる相手に出会ってから自分自身を開放できるようになったと祖父※から伺っております。※丹下段平
あなたも同じように、人とお話しすることそれ自体を嫌いになったわけではないはずです。
もしそうだとしたら、ここにすら来ません。
お寺にお越しいただき、いいたいことを思いきって言ってみましょう。
あなたに必要な言葉があります。
それが何であるかを求めに来てください。
質問者からのお礼
ふわふわ言葉と、チクチク言葉。
教師をしていた時に一度、私も子どもに話したことがあったなと思い出しました。
話す前に一度深呼吸するなり、唾を飲むなり、
一度落ち着いてから話すよう、心がけていこうと思います。
今はとてもこの件で落ち込んでいますが、少し落ち着いたらお寺へ伺いたいと思います。
ありがとうございました。