母が亡くなりました
母が先日56歳で亡くなりました。
突然のことで、脳出血で倒れ、そのまま意識が戻らず1週間の入院の末亡くなりました。倒れていたところをすぐに見つけ、すぐに救急車を呼び、すぐ近くの病院が受け入れてくださり、最善の治療を施して頂けたと思っています。祖父母も駆けつけ、遠方からの友人も、伯父も駆けつけて、もちろん家族は病院に詰めていて、入院している間は病院の方も家族も最善を尽くせたと信じています。
無宗教で、戒名はいらない、私のお葬式ではみんな可愛い格好して骨は粉にして海に撒いてちょうだい、と常日頃から笑って言っていた母ですが、妹の幼稚園などでお世話になっていたお寺さんに葬儀をお願いしました。家族葬で静かに行う予定でしたが、お花を贈ってくださる方が多く、花に囲まれた立派な式だったと思います。綺麗な戒名もつけていただきました。遺影の笑顔も本当に綺麗です。明るく華やかな母の笑顔です。出棺もご住職様にお見送りいただき、お骨は綺麗に焼いていただき、今は綺麗な骨壷と葬儀社の方が丁寧に作ってくださった祭壇の上に乗せられ、家に戻りました。
まだ実感が湧きません。明るい母が、今にも玄関を開けて買い物袋と一緒に帰ってくるように思います。コタツで寝ているように思えます。病室での顔も安らかで、本当に家で寝ている時と同じ顔でした。私は社会人ですが、3人いる妹はまだ大学生、一番下の妹はまだ成人もしていません。今帰ってきた妹が明るい声でママただいま!と遺影に声をかけました。父は実家と疎遠で、頼れる人はいません。母の両親はもう83歳で、こんな悲しみを味あわせていいはずはありません。我が家の要です。働かせすぎたのだと思います。朝起きて、洗濯をし、朝食を作り、ゴミを出し、弁当を持たせ、出勤し、帰宅し、買い物をし、掃除し、食事を作り、洗濯をし、誰よりも遅く寝て、誰よりも早く起き、誰よりも働き、誰よりも早く旅立ちました。
娘4人全員マザコンで、日頃から母には好き、大好きと伝え、母との予定は最優先にしてきました。私たち娘たちからの母への気持ちは伝えられていたと思っているし、母からの愛情を疑ったことはありません。ただ、母の友人、兄、祖母から「〇〇くんと結婚していたらなあ」「あれじゃ(母)ちゃんが可哀想」と言われるのを聞きました。母はかわいそうだったのでしょうか。大好きな母がかわいそうなのはとても悲しいです。
母の死が理解できない
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愛情のある関係は変わりません。
合掌礼 持田 様
ご相談ありがとうございます。
お母様のこと、お悔やみ申し上げます。
遺影の笑顔、花に囲まれた葬儀、人徳が出てますね。
遺されたご家族皆様は、驚きとか、残念とか、何故とか
受け入れられない気持ちが強いと思います
また、持田様自身もそうかと思います。
まだ、実感がわかないとか、ショックがあり過ぎてとかの
状態かもしれませんね。
そんな中、「かわいそう」とか耳にしたら、
さらに受け入れられない気持ちが強くなりますよね。
お母様のことのこと、生きてきた、すべてを尊重してあげてください。
亡くなったことをその時点の点で捉えるのではなくて
一生、全体を線で捉えて、尊敬し、感謝し、愛情を伝えてください。
ご家族皆様で、たくさん思い出話をして、
泣いたり笑ったり、ありがとうを何回も伝えたり
たまには文句も言ったりして、沢山思い出を出し合ってください。
自分の立場と、お母様の立場と両方に立って、それぞれ感情を感じてみてください
みんなで、出しあって 出し切ったら、最後に
自然と愛情が溢れて、感謝「ありがとう」が出てくると思います。
そして、これまでの愛情のある関係は変わらず、
優しさ、安らかさ、あたたかさ で満たされると思います。
お嬢様たちのあたたかい心で満たされれば、
決して、「かわいそう」ということはありません。
命のつながりと一生を線で捉えて、尊重し、感謝と愛情で満たす。
そんなことを心がけて供養をしてください
癒しがお母様にも、お嬢様、ご家族皆様に訪れるでしょう。
私は、日蓮宗の僧侶ですので、お題目「南無妙法蓮華経」でご供養させていただきます
「南無妙法蓮華経」合掌礼。九拝
ありがとうございました。
お母様と共に
拝読させて頂きました。
お母様が突然お亡くなりになられあなたも皆さんもそのショックを受け入れられないでしょうし、深い悲しみの淵に立たされておられることでしょう。
あなたのその悲しみの程を心よりお察し申し上げます。
そしてお母様が仏様の元にて心から穏やかに安らかになられますようにと仏様に願い、お念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お母様は皆さんと共にご自分の人生を一生懸命に生き抜かれたのです。皆さんと共に幸せに人生を乗り越えていかれたのです。そしてその生命を全うなされたのです。
お母様は決してかわいそうな人生ではなかったのです。あなたやお子様皆さんに囲まれて心豊かな充実した人生を生き抜いて天寿を全うなされたのです。
そしてこれからも仏様の元で安心して皆さんをいつもいつもお見守りなさって下さるのです。
目をつぶってゆっくりとお母様を思ってみて下さい。
あなたの思いの中でお母様との様々な思い出やその笑顔が浮かんできませんでしょうか。
あなたやご家族の皆さんとお母様とはこれからもずっと一緒につながっているのです。これからもそのご縁はつながっているのです。
これからもお母様を思いそして手を合わせて真心込めてご供養なさって下さいね。そしてこれからもお母様にどうか宜しくお願いします、いつも見守り導いて下さいね、とお願いなさって下さいね。
お母様はあなたや皆さんをこれからも笑顔で支えて下さいますからね。
悲しみは尽きないことでしょう、なかなか受け入れられないことでしょう。無理に片意地はらずに素直なお気持ちでこれからもお母様にどうかお向き合いなさって下さい。
そして姉妹皆さんこれからも仲良く共に助け合いながらお健やかに成長なさって下さい。何よりお母様のためにも。
「産んでくれてありがとう」という気持ちだけで十分
持田さん。あなたたちのお母さんはあなたたちのお父さんと結婚したからこそ、あなたたち姉妹はこの世に生を受けました。お母さんはあなたたち姉妹を愛して来られたと思います。あなたたち姉妹もお母さんを愛して来られたと思います。お母さんはそのことで十分に幸せだと思います。
お母さまが56歳でこの世を去ってしまったことは誠に残念なことです。でもね、お母さんが生きてきた証(あかし)である持田さんたち姉妹がこれからどう生きていくか否かで、お母さんの人生の価値も違ってくると思います。どうか、お母さんが喜んでくれるような、安心して見守ってくれるような人生を生きてあげましょう。
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ただ、母の友人、兄、祖母から「〇〇くんと結婚していたらなあ」「あれじゃ(母)ちゃんが可哀想」と言われるのを聞きました。
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「本当の家族の幸せとは何か?」ということがわかっていない方々が無責任な発言をする。よくあることです。気にする必要はありません。
仮に周囲の方々の言っておられる「〇〇くん」と結婚したとしても、子供が生まれたかどうかわかりませんし、どんな子供が生まれたかもわかりません。仮に「〇〇くん」が社会的に或いは経済的に成功した方であったとしても、その方と結婚したからお母さんが幸せになる保証はありません。「〇〇くん」と結婚してたら、持田さんたち姉妹は生まれていません。少なくとも、持田さんたち姉妹のような素晴らしい娘さんが生まれる保証もありません。
自分たちはこの母から生まれて幸せだ、という今のお気持ちをこれからも大事にしてください。きっと、お母さんも「このたちを産んで育てて、自分は幸せだ。」と思っている筈です。どうか、素晴らしいお母さんを誇りに、あなたちの人生を切り拓いていってください。