お経と愚痴
毎朝神棚に祀ってある荒神様と弘法大師様に『おんきんばやそわかー』とお経をあげている上司との接し方についてご相談です。
1日には決まったお寺へお参りに行き、
年に1度は高野山へお参りに、
毎朝毎晩仏壇にはお経をあげている。
自分の親は立派なお坊さんだった、と言う方なのですが…
とにかく愚痴が多く、トラブルがあれば人のせい。
どんな些細な事でも自分は全部知っていると思われたくて、
相手の言っている事を全否定し、自分の論を押し付ける。
気に入らないとどのような場面でも怒鳴り散らし、
(銀行の窓口が少し混んでいるだけでも怒鳴り散らし、店長を呼ぶ始末。)
口癖は『金がない』『金持ちはクソみたいなケチが多い』『あいつは○○』←少しでも自分を立ててくれない相手には差別用語。
『何で俺は熱心にお参りしてるのに宝くじ当たらないんだ』
二人しか居ない職場なので、避けるわけにもいかず疲れはててしまいました。
お坊様方、私は、先祖に手を合わせることしかしたことがない者なのですが
お経をあげれば愚痴をこぼしても良いものなのでしょうか。
愚痴やマイナスな言葉って、口から出ただけで自分の回りに嫌な空気を撒き散らすだけだと思うんです。
義務感でルーティーンになっているお経を、完璧に覚えてあげることより、手を合わせる気持ちと、何か前向きな言葉を発することの方が
よっぽど素晴らしいと思うのですが、どうなのでしょうか。
お坊様方だったら、どう考えてこのような場所で嫌な気持ちにならないでいられますか?
どうぞアドバイスをください。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「愚痴」
たか様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
本来、お経を読経して功徳を回向するのは、全ての一切の衆生たちが、やがて、この迷い苦しみの世界から離れて、安楽なる悟りへと至れるために、一切衆生が救われるための悟りへと向かうために、として行うものとなります。
自分のために、身内のために、特定の誰かのために、あるいは、ただルーティーンのことのために、では、やはりいけないこととなります。
おっしゃられますように、そんなお経や参拝を繰り返すことよりも、皆の幸せ、皆への感謝、お陰さまへ向けてなど、皆のことを思って合わせる合掌の方が、尊く有り難いことになります。
「愚痴」というのは、元々、仏教用語にて、「(真理を)知らずに愚かなこと」を申します。
もっとも、お経の内容を理解していないから、「愚痴」が出てしまっているのでもあります。
「愚痴」を言うよりも、自分の愚かさにこそ、早く気付いてほしいものでございます。
どうかその方にも、いずれ気付いて頂ける確かなるご仏縁がございますように、と憐れみを掛けてあげたい気持ちでございます。
川口英俊 合掌
そうですね、私の前でそのような方が居ましたら、「そういえば、お経は唱えたらいいというものではなくて、その内容を実践することが大切なのですよね。どのように上司さんは実践されているんですか?やっぱり戒律を守ったり、貪瞋痴を捨てたりされてるのですか?」と言っちゃうかもしれませんね。
新しい職場が明るくてよかったですね。
今年は良い一年になりますように(^^)
質問者からのお礼
川口様
三宅様
非常に興味深い内容のアドバイスをどうもありがとうございました。
お経の内容こそ生きていく為のヒントがあると初めて知りました。
私はどうも、愚痴をこぼしたり後ろめたい気持ちばかりが前に出る人と一緒に居ると疲れてしまいます。
アドバイスをいただき時間をかけて考え、転職してしまいました。
新しい職場は前向きで楽しんでおります。
アドバイスをくださったお二方には本当に感謝しています。
ありがとうございます。