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高三の息子の子育ての苦しみ

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

いつもお世話になっています。また、こちらで相談させていただきたいです。高三の息子が、ここのところきれやすく、パソコンなどやっていてうまくいかないと、大声を出したり、机を叩いたりします。暴れるとか、暴言暴力はないのですが、私が怖がりなのか、ちょっとでも息子がそのような状態になると、心の中で、震えてしまいます。あと、これも、息子のストレス発散だと思いますが、親に内緒で、多額のゲームを買っていて、支払いが来て、びっくりしているところです。兄の時も反抗期があり、男の子はそういうもんだと思っても、毎日のことなので、苦しいです。世の中にはもっと酷く反抗している子どもたちもいるとは、思いますが、私は私で苦しいのです。なにか、元気のでるアドバイスをいただけませんか?どうぞよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが育てるのではない。こどもが「育つ」のです。

男の子は悲しいでしょうがそういうもんです。
私は大学出ても親を親と思ったことがありませんでした。はい。正直、そんなもんです。
つまり、あの可愛らしかったあの子(息子さん)はもう、大きくなっちゃったのです。
だんだん、ババアとか、うるせぇとか、ヒーな言葉も飛んで来たりするもんです。
お子さんには気持ちを近づけすぎないことが大事です。
お母さん・母親というお立場上、それは無理と思われるでしょうが、少しでも距離をひろーく持っていってください。
子供を持つ多くの大人は自分の子供を所有物のようにしてしまうものです。
私もさっきまで井上真央ちゃん主演の「明日の約束」をみて感情移入しすぎて「わがこと」のように感じられてしまいました。全国の母親に観てもらいたい内容ですね。視聴率は悪いそうですが。
イラついて大きな物音を立てることが嫌なときは、男の子ですからプライドを損ねないように上手に伝えることです。ですが、私が学生時代に仮に注意をされていたにせよ、記憶すらありません。
そのくらい、男の子のその時期というものは人によってでしょうが、あまり母親には関心がないものです。
ただし、もらうものはもらうです。
ご飯やら、なにやらはちゃっかりもらうものです。
その年ごろは何を提供しても全国のお母様としては悲しい塩対応しか返ってこないものです。
コツとしては、伝えるべきは伝える。
一見すると反発して「うるせぇな」とか面白くない顔をしますが、一応聞いていることは聞いているものです。同じくらいのお子さんを持つママ友さんと発散し合ってドーンと構えてヘロヘロにならない程度に期待せずに接することが吉かと思います。
今の時期はみんな自分の事しか頭にないものです。
より良く生きるための智慧やアイデアを提供して、男子の世界という戦場で生き延びるためのアイデアを提供するのもよいと思います。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

イライラのアピール

息子さんは、イライラしていることをアピールしているのではないでしょうか?
「俺は今、こんなにもストレスをかかえているんだ」「俺は今、キレたくてキレたくて仕方ない苦しみを背負って生きているんだ」みたいに。
本人も意識していないかも知れませんが。

たまたまパソコンのときにイライラが爆発しているだけですが、実は、日常的にイライラを蓄積しているかもしれません。

息子さんに聞いても「べつに。」とか言うだけかも知れませんが、気にかけてあげてください。
お母さんご自身の思春期時代の話(自慢話ではなく失敗談)を話してあげれば、息子さんも自分のネガティブな部分を話しやすくなるかもしれませんね。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

丹下覚元様。たくさんの内容が詰まったアドバイスを、ありがとうございます。男の子はそういうものですと言われて、納得しております。息子との心の距離を広く取るというのも、胸に響きました。男子の世界は戦場なのですね。強い子に育って欲しいものです。願誉浄史様。イライラが、日常的に溜まっているのかもというご指摘、ハッとしました。なににイライラしているのか、分かるといいと思います。ありがとうございました。

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