平等ではない
絶対あの子は、いままで辛いことなんて
一つもなかったんだろうなって、
よく思う子がいます。
人は平等ってゆうけど、
絶対にありえないですよね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
平等ではないでしょう
同じことを辛いと感じる人もいれば感じない人もいる。
あだ名で呼ばれることに、イライラする人もいれば素直に受け入れる人もいます。
あの人に呼ばれてもいいけど、この人には呼ばれたくないなど、勝手に考える自分もいます。平等であるように見えて、問題になる人とならない人がいます。
もっと言えば、人が見て辛い境遇だと思っても本人はなんの問題にもしない生き方もあります。
人と比べどうこう考える生活に救いはありません。禅の生き方はそうした捉えから解放されます。安心をえることができます。ぜひ学んでみてください。
そうです。
でも、「平等」という言葉はある。これって、言葉の上にしかない、架空のものなのかしら?
よく口にはするけれど、「幸せ」は?言葉の上にしかない?
「平等」ではない、という意味の言葉は何だろう。「不平等」?それとも「差別」?
言葉って不思議です。毎日ものすごい沢山の言葉を使っているけれど、考えてみると相当アイマイなものばかり。
たぶん「平等」という言葉は、単独では成立しないのです。何らかの視点がないと。
「同じ試験をうける」平等。 「全員が結婚できる」平等。 「誰もがお腹いっぱい食べられる」平等。 「18歳になると、選挙で投票できる」平等。 「人が一生のうちに受けられる幸せの量」の平等。 「人生で、どれだけ辛い目に遭うか」の平等。
「全てにおける平等」は、多分ないのだと思います。できるのは、それを知りつつも「○○における平等」に入る、「○○」を探すことではないかしら。
千差万別、故に平等
生まれた親、場所、性別、年代 etc、みな平等だったら、
わたしとあなたがおんなじになりますw
でも、与えられているものは同じです。
空気、太陽、時間 いのち。
すべてあなたにとってもわたしにとっても
「タダ」です。
「いのちはタダではない」と思われると思います。
どれだけお金を掛けようとも、妊娠できない人も
いるのです。いのちが結ばれるのは、本当に
不思議でしかありません。その機会は、お金では
買えないものです。
これらは、みんな平等に貰っています。
そして、そのことにたいして、感謝もしません。
感謝しろ!と、与えている方から文句もありません。
「あのこ」にだけ、いいことが起こる。それが、あなたの言う
「平等ではない」だとするならば、いったいなにが、
「あのこ」に与えられているのでしょうか。
「あのこ」は、あなたとは違う親、違う場所で
同じ太陽、同じ空気、同じ時間を貰って
「あのこ」としての、いのちを生きている。
違うのは、あなたはあのこではない。と言う事実です。
だからこそ、どう生きるか。これを考えることも
あなたに与えられたものだといえます。
比べるのはわるいことではありません。
いいことでもないですw
なぜなら、それによって、一体なにが、わたしといういのちに
与えられているものかを、知ることが出来る。
これは、とても大切な機会です。
最後に、あなたに与えられているものがあります。
わたしたちハスノハのお坊さんたちの
あなたに「さちあれ」の願いです。