人生は平等ですか。
息子がスポーツをしています。
先月、ケガをしました。
もう、3週間経ちますが、まだ回復しません。
スポーツをしている限り、ケガは避けられませんが、なんでこの大事な時にと思ってしまいます。
今回もそうですが、昨年もそう。
思い起こせば小学生の時から、同じスポーツをしていますが、次に大事な試合というときにケガや体調不良になります。
いろいろな、チャンスも失っていたかもしれません。
高校生なので、あと1年もない、もしかしたら最後になるかもしれないこの時に、親の私が落ち込んで食欲もない状態です。
息子は人からも、言われるように、努力して取り組んでいます。性格も人には優しいです。私や夫より魂が上のレベルだと思います。
なのに、なぜ、こんな状態に置かれてしまうのか。
もちろん、もっと不幸な状態の人も世の中にいるし、逆の人もいます。
そこは比べてもキリがないので、今、この周囲の環境でのことで。
努力をせず、ケガもせず、また多くはないですが、意地悪な子もいる、そう言った子達が、問題なくスポーツを続けられるなかで、
とても、平等とは思えないのをどう考えたらいいでしょうか。
息子が不幸なのは、私のせいとも思うことがあり。
私は意地悪ではないですが、性格は強い方で、でも何か不幸が息子に向いてはと抑える努力はしてます。
もう、どう考えたらいいのか、わからない状態です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ああ、本当に気の毒な息子さん。。。
”努力をせず、ケガもせず、また多くはないですが、意地悪な子もいる、そう言った子達が、問題なくスポーツを続けられるなかで、 とても、平等とは思えないのをどう考えたらいいでしょうか”
親のアンタがこんな被害妄想も甚だしいみっともない僻む心を持っているから、せっかく今まで頑張ってきたあなたの息子さんの努力を台無しにするんだよ。
試合に出られなくなってしまったのはたしかに残念。でも、
試合に出るためだけにそのスポーツをやってきた。
試合に出られなければ、その競技をやっている意味なんかない。
試合に出られなければ、それまでにプロセスは無意味で無価値。
ただでさえ試合に出られなくて悔しい思いをしている息子さんが、努力もせず、意地悪な子ら以下になったと親のアンタにまでレッテルを貼られてしまっては、それこそ不幸の極みですね。
どんなスポーツかは知りませんが、よほどのつまらぬ取り組み方をしてきたようだ。。。
息子のスポーツに励む姿に、あなたは一体何を期待していたのか。
人生が平等かどうか以前の問題かな。
おはようございます。
一生懸命練習に取り組んでいる息子さんが、いざというときに試合に出ることができないとうのは見ていても辛いものですよね。
おっしゃる通り、他の人と比べる事には意味がありません。また、あなたの性格と息子さんのけがには何の因果関係もありませんので、気になさる必要はありません。
さて、私の話をします。
私は消防団に入っています。消防団には「操法」といって、素早く正確に消火をする大会があります。大会の様子はYouTubeなどにも上がっているので見てみてください。(「ポンプ操法」などで検索)この大会の為に、私たちは半年以上、週に何回も集まって訓練をします。消防団はボランティアですので、みなさん仕事をしています。仕事が終わってクタクタな所を集まってやるのです。
大会の結果はあまり良くありませんでしたが、この大会を通して、消火の技術はかりでなく、多くの仲間ができ、また絆が深まりました。負けたけどさわやかな大会でした。
息子さんも、試合にはでられなかったですが、そこを目指して頑張ったという事実があります。スポーツの技術は確実についていますし、精神的にも成長したと思います。また仲間との練習の日々はあとになってもかけがえのない思い出になったことでしょう。
大丈夫ですよ。長い目で見たら、あの時出場しなかったのが良かったんだなぁって日がきっときます。
人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如しとも
LaLa様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
何を平等と見るかにもよりますが、仏教では、「全ては、縁起し空である」として、そういう意味では全ては平等となります。
全ては、因縁(原因と条件)によりて現れているけれども、どこにも「自性」はないということであります。
空、自性は無いということの理解は、今は難しいでしょうが、因縁によりてあり得ているという理解はある程度できるのではないかと存じます。
花が咲くということは、必ずそのための因縁としての種や水や養分や光があるように、全てのモノ・コト・出来事も、必ずその結果のための因縁があります。何も因縁の無いところに突然に花が咲いたり、何かが生じたりすることはありません。
仏教は、その因縁、特に心の状態の因縁をより善く調えることで、より善い結果、悟り・涅槃へと向かって参りたいところとなります。
さて、では、貴女様やご家族様の因縁のどこかどう悪いのかと申しましても、それは一概には言えないところがございます。
人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し、として、同じ事象であっても、そのことを捉える心の状態次第でも捉え方が変わってしまうところでもあります。
もし、今の状態をより良くに、前向きに捉えたいとなりましたら、やはり、捉える心のありようを変えることも必要となります。
そのためのヒントは仏教にもたくさんにございます。
また、状況を変えたいとなれば、それもやはり、良い心の状態と共にできる限りに良い因縁に取り組むことが必要となります。そのヒントも仏教にはございます。
是非、これを機会に仏教の修習にも興味を持って取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
確かに私の考え方に問題はあると思います。
大人数で、さまざま試合はありますが、トップチームで出場できるメンバーは、わずか。
やはり、そこでの試合はみたい思いから、焦りのような気持ちもあるのかもしれないです。
その試合に出るために、小さい頃から、そのスポーツをしてきたのは、多くのメンバーにとっては、事実で(もっと言ったら最初はプロになることでしょうけれど)、そこから外れた為に早期引退で、別の道(大学入試に専念)へとの先輩達が夏ごろからいます。
トップチームに選ばれなかった事を口にしています。
その切ない感じの余韻も残っていて親としては、気持ちが落ち着かない、整理ができない感じで、勝手ですが、本当に3週間前から辛いんです。
子供は16才までは親の運気に左右されるは、何人の方から聞いたことがあり、その年齢は越えているとは言え、なにか私の人に対する言葉に問題があるのかを、日々考えてしまっていました。
仕事上、また性格上、なにも発言せずはできないのですが。
チームメイトの親御さんから「あいつは(家が)遠いのに朝練にきて、あいつには負けられない」って言ってたよって聞かされて、その少し前の悔しいことでも、めげずに頑張っているんだと思っていた矢先のけがでした。
「あのとき出場しなかったのがよかった」
息子の性格が優しい上に、ひとりっこの為か、友人に恵まれているのか闘争心がないので、今回、過去で一番長い離脱で、その気持ちが芽生えたら、よかったと思えるかもしれないです。
ありがとうございました。
………
初めてで、お礼のコメントの投稿の仕方がわからず、
お二人の回答へのコメントが、1行開いただけで、わかりにくくなってしまい申し訳ありません。
川口様
因縁…夫も悪気はなくても仕事上、逆恨みされることは多いと思います。
私も、弱い人、自分より立場が弱い人には、何も言いませんが、会社で言えば上司には思った事を指摘するし、同立場の人には討論するので、不快に思う人もいるとは思います。
息子は、全く違うので、ただ、彼には及ばないように、親の私達も言動に気をつけるべきなのでしょうね。
ありがとうございました。