日本人は大体の人が地獄に落ちるというのはおかしくないですか?
日本では誰かが亡くなってしまうとお葬式が行われますよね?お葬式をすると仏様の弟子になるんですよね?仏様の弟子は地獄に落ちないのにどうして日本人は大体の人が地獄に落ちると言われているのですか?まず地獄に落ちる人はいないのでは?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「ほとんどの日本人が地獄に落ちる」って聞いたことが無いです。
日本では誰かが亡くなると
お葬式が行われてきました。
最近では、従来の通夜葬儀を勤めない
「直葬」という形式が増えました。
でもそれは人間側の事情であって、
仏さまは、お葬式を勤めても勤めなくても、
皆お救いくださいます。
お浄土で仏さまになるので、
地獄に落ちることはありません。
大丈夫ですよ。
すでに地獄に落ちているでしょ。だからこそ。
心がありもしない地獄を思い悩めばそれは地獄でしょう。
「地獄なんてあるわけねぇや」と思って悪事を働いている人たちの心は地獄以上にMADで病んでいるから地獄でしょう。
悪いことしてもいいことしても地獄に落ちる・極楽に行くという古来よりの民間信仰の考え方の本質に自分自身が本当の意味で合点・決着がついていなければ迷いが多いからどのみち地獄でしょう。
仏教なんて信じない、で好き勝手やって、自分も人も痛めつければその人生は生き地獄でしょう。
「大丈夫だよ、大丈夫だよ、そんな💀地獄なんてあるわけないよ👿」と何でもOKにしていて自分の生き方も改めずに、この世に実際生き地獄がわんさかあるのに目をそむけて地獄なんてあるわけがないと死後のことばかりにして、ちっとも良くなっていかないのはもっと地獄を肯定している生き方でしょう。
そういうのを地獄という。
死後の世界のことではない。
死後の世界のこととしてもよいですが、それはあくまで人をより良き道に向かわせるための方便。
死語の地獄の世界などあるわけないといって、好き勝手している人間たちのあのゆがんだ顔や生き方や、それによって生じた被害者たちをごらんなさい。地獄が無いなんてことをどんなにIQが高い人間が否定をしても、地獄なんてあるワケがないということを否定できない。
どんなにIQが高かろうが、人間性が低ければ、自分のIQの高いことや恵まれていることに浸って他人の不幸や死なんてほったらかし。そういうのを天上界と言いう。
厳しく言えば、人を救えないケチな奴らの集まりです。金を持っている人ほどケチだったりする。金が無いのに優しい人もいる。そこに極楽がある。そういう生き方を求めるところに地獄を変える花が咲く。だから私もやる。(当方現在病気で入院点滴中)
だから、誰もが地獄の心と地獄のようなこの世界を浄土極楽、最高の世界にするために、心を明るく、正しい明晰性をもった悟りを明確に説いてくれる僧侶に出会って、自分の心をファンタジーや宗教心のないジコチューな心=地獄から救い上げなければ、誰が自分を救ってくれるのでしょうね。どこですくわれるのでしょう?仏教や人間の叡智を求めなければ救われるわけがない。自分だけ救われたって結局、世の地獄や人間の地獄のような苦しい心は変わらない。
だから仏の教えを実践するしかない。
私たちあなた達みんなで世を救うのです。合掌
「日本人は大体の人が地獄に落ちる」というのは一体誰が言っているのでしょう?聞いた事がありません。あなたのおっしゃる通り、仏弟子が地獄に行くことはありません。大丈夫ですからもう地獄について考えるのはやめましょう。地獄について考えてばかりの人生はばかばかしいと思いませんか?地に足をつけ、今やるべきことを丁寧にやりましょう。
末法思想のこと?
日本では、平安時代に「末法」の世(時代)に入ったと言われました。
お釈迦様が亡くなった後、最初は「正法」の時代と言って、正しい教え・正しい修行・正しい悟りがある時代だった。
それが、時がたつと、「像法」の時代になった。像法の時代には、教えと修行はあるが、正しい悟りがない時代。
その次に、「末法」の時代が来たとされた。末法の時代には、教えは残っているものの、正しい修行も正しい悟りもない時代。
仮に、本当に末法の世だとしたら、地獄に落ちる人が増える可能性がありますね。
浄土宗では、自分を、末法の世の凡夫(悟っていない愚かな者)だと思って、こんな自分にはお釈迦様の説かれた修行は難しい、だから南無阿弥陀仏の念仏で救われる道を選ぼう、と考えます。