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孤独で辛いです。

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有り難し有り難し 25

妻と、価値観の違い、すれ違いから別居から今年、協議離婚に至りました。
到底、納得できるものではありませんまでしたが、自分が未熟ゆえでしょうが、伝えたいことが伝えられず事ここに至りました。
元々、友達も少なく頼りない私を支えてくれた面もあり居なくなった今は凄く孤独です。
孤独をまぎらわす為、休みの日はほぼ勉強に充てて自分に「今は自分磨き、負けてはダメ」と言い聞かせようとしています。
孤独から逃げるために新しい友達を作るにもなかなか勇気と努力が要りますし、学生の頃の同級生達とは打ち解けず(途中で学校を辞めた子達とは今でも仲良くしています)、最後は自分から無視するような形で離れました。。もぅ10年以上経ちますし、恐らく今さら元には戻れません。
狭い業界柄、同級生と繋がりがないと、同僚から、寂しい人みたいに見られかねませんし、自分も孤独になります。
最近、職場で気になる人が出来ましたが、私に友人が少ない(特に同職で居ない)事を受け入れてくれるか?と初婚がうまくいかなかった事でなかなか前に進めません。
毎日、離婚を回避出来なかった事を悔い、行き場のない怒りを覚えたり、孤独や自己嫌悪に陥ったりします。
今は、資格を取ったり、仕事関連の勉強に没頭したりして何とか自分を保ってますがかなり辛いです。
毎日、独りの我が家に帰るのが辛いです。

色々な事を詰め込んだ拙い文章で申し訳ありませんが、これからどう生きていけば良いか、慰めでも有り難いですが、アドバイス宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分で失わせのペンキを塗りたくっています。

何をするにもあなたは否定的な思いを添えていますね。
あの時はあれでダメだった。
あの時もあれでダメだった。
あの時はあれでダメだった。
その審査員は誰ですか?
全部あなたは自分でダメ出ししているのです。
心が何をしているかをいつも見ていてください。
表面的にはまっとうなことをやっているようでも内面でつねに自分いじめをされています。
ご自分の質問文章を読み返してみてください。
如何に否定的な表現があるか。
数えてみてください。
そして、その後もおそらくあなたはここで何も言わなければ「ああ、おれって駄目だなー」とまた自分いじめをするはずでしょう。
それが何をやっているかをよく見ることです。
それが自分いじめの本質です。
自分が自分をDISる、けなす、否定する、ばかにする、落とす、けなす、そういう心の行為に目を向けるのです。
あなたは自分で自分が何をやっているかをしらない。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
何度も良く読ませて頂きました。

マイナス思考なのは以前から認知しているのですが、なかなか考え方を変えることが出来ずに居ます。
ダメな自分というポジションに心を置く、自分を責めることに慣れてしまってるのかもしれません。
あるがままの今を受け入れる。。
少なくとも、妻は一度は私の事を受け入れてくれたのですものね。。。

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