死んだら終わりなのに、どうしようもなくなります
こんばんは。
心配してくれる親しい友人もいて、
たまに様子を見に来てくれる両親もいて、
仲の良い兄妹もいて、
新しい土地で出会えた友人もできて、
最愛の子供たちもいるのに、
誰にも主人を亡くした辛さ全てを話せません。
主人と交流があった方とお会いしても、
表面上のありふれた寂しさを語るくらいで、
相手を困らせてしまうのではないかと、考えると
それ以上の話はしません。
死ななければ、何でもできる
それ以上の辛さはないから。
わかります。死んだら終わりです。
でも、その気持ちが越えてしまうほどに
悲しみで溢れてしまいそうで、
明日を迎える気持ちも湧いて来ません。
どうしたら良いのでしょう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死んだら終わりではありませんよ。
宗派が違ったらごめんなさいね、浄土宗的な話になりますが、人はこの世での命が終わると浄土に行って、そこで仏様の元で修行して仏様に成るのです。それを成仏といいます。
ですから、あなたのご主人も今頃は浄土で日々懸命に修行されておられることでしょう。
また修行しながらも、あなた達のことを見ています、どうか幸せになってと祈っています。
悲しみに沈んでいるあなたのことを心配しています。
もしかしたら修行に集中できていないかもしれないですね。
なので、ご主人の為にも、あなたが笑顔にならないといけません。ご主人が心配しないように。
ご主人はいつも見守っている、このことを忘れないでくださいね。
そして、少し先の話になりますが、いつかはまた浄土で再会できるのですからね。
たしかにそう思いたくなります。
ご主人を亡くされた悲しみは、言葉にたとえようがありません。
心中お察し申し上げます。
愛おしいご主人は目の前にいません。肌に触れることはできません。話かけることもできません。ゆえに死んだら終わり・・と思いたくなります。誰でも同じ境遇になればそう思うでしょう。又、その方が今の心境には、受け入れやすいでしょう。
今は無理に死んだら終わり・・を受け入れた方が楽かもしれません。
現実を受け止めた方が苦しくない場合もあります。だから何故、私を置いて死んだの?と思っいきり叫んでも構わないでしょう。
しばし、そういう時間は必要なのです。
でも、本当は、死んだのは肉体だけで、魂、意識はそのまま継続中です。
信じる信じないは自由ですので、流してお聞き下されば結構ですが、今のあなたの状況はすべて、ご主人には通じています。
難しいことは、今は必要ないと思いますので、お話ししませんが、時間をかけてゆっくりと現実と向き合っていきましょう。
お友達などにお話しされることが辛ければ、今はしなくても皆さん分かってくださるでしょう。ゆこさんがお辛いことは、皆さん理解されていると思います。
心が落ち着いたら、すこしづつお話しされてはどうでしょうか。
そんなゆこさんをご主人は、常にじっと見守っています。
「縁」
ゆこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
死によって全て「無」になるとは仏教では考えません。
心が続いていくことになると考えます。
その心を仏教の説く善き因縁(原因と条件)を調えることにより、善き結果へと向かって参りたいものとなります。
それも、やはり、仏縁という「縁」がなければなりません。
今、「縁」ある方とも、死後にも続いてゆく「縁」あれば確実に来世でも「縁」があるようになるでしょう。
その頼りの一つして、同じ仏縁を強く結んでおくというのも。同じ流れの中にあれば、またお会いできるご縁もあり得るものとなりますでしょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
お二人のお話を読み返しながら、無理せず生きていきたいと思います。
ありがとうございました。
川口様
お返事ありがとうございます。
縁は絶えず続いていくもの
たぶんほんとは誰よりもそう思いたいんだと思います。
なのに、私が生きているこの世でもう2度と逢うことができない。
その事実と私の思いと、その間でどうしようもなく苦しいときがたまに訪れてしまいます。
ありがとうございました。