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彼を傷付けてしまいました

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来年結婚を考えていた彼から今はまだ結婚出来ない。自信がないと言われました。
原因は私が彼の行動などにイライラして指摘した事で傷つけてしまったからです。
いつも優しく寛大な彼は、私が注意したり指摘しても笑顔でそうだね。ごめんね。と言ってくれる人でした。
彼が嫌だと感じ傷ついている事に気付かずに、私はイライラをぶつけてしまっていました。
そんな日々の積み重ねで、彼は私といると気を遣い不安に思うようになったそうです。きっと、自分らしく居られないのだと思います。
それでも今も私を好きだと思ってくれ、私に直す気持ちがあるなら1からやり直そうと言ってくれています。
私は彼の傷ついた心や私に対する不安を何とか取り除きたいという思いなのですが、果たしてそれでいいのか…不安です。
私に出来るのか。彼にとって私と一緒にることがいいのか。グルグルと考えてしまい自信がもてません。
アドバイスいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一生を共にしたいと思うのか?

おさるさんへ

文面を読んでいると、彼は本当にいい人ですね。
永いようで短い一生、沢山の人と出会う事があっても、一生を共に出来る人(配偶者や親友)とは、そうそう出会えません。

おさるさんが、彼と「一生を共にしたい」と思えるのであれば、お互いに思いやりの心を持って、やり直すべきだと思います。
「思いやりの心」とは、言いたい事を言わないでおく事も思いやりですし、言いたくない事を敢えて言ってあげるのも思いやりの心だと思います。
互いに気を遣い続けなければならないような間柄であれば、長続きしないと思います。

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おきもち

昭和43年、奈良県葛城市生まれ。子授け寺浄願寺の住職、鷲尾隆仁。 日頃は、法務に忙殺されていますが、 出来るだけ、お檀家さんや参詣者に寄り添い、愚痴や悩み相談される人になりたいと、常日頃思っております。 また、僧侶のかたわら、家事民事調停委員もしており、世間のドロドロにまみれております(>_<)

考えても仕方がない

あなたに言えることは、あなたにとって彼は大切な存在であるかどうか。です。
大切なのであれば、大切に真心で接するということです。あなたの感情的な心、妄想、煩悩に振り回されないで、シンの心、真心でありのままの彼を愛してください。
計算された行動ではなく、我慢でもなく、心からの愛が大切です。
彼がそれにこたえてくれるかどうかは、あなたが考えるところではありません。
待つしかないでしょう。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

言い方を「そふと」変えれば二人にとって良い

あなたは相手が何かあると言わずにはいられない性格でしょう。
だからと言って気づいたところを言わないのも彼のためにならないこともあるでしょうから、言い方をもっとハードからソフトに、相手を損ねない様に言えばいいのでちゅわぁ~ん♡
大きな本屋に行けば、男子の取り扱い説明書、ダンナの取説みたいな本が出ていまちゅ。
参考になさると良いでちょう。
女子にとって男子は永遠の謎であり、男子にとって女子は永遠の謎でしゅ。
理解があったほうが、パートナーとしての結束力が高まりましょー。
傷ついた、傷つけた、そんな事をイチイチずっと握っていたら傷も治りませんし、どんどん壊れやすくなりましゅ。
禅では、傷ついたことを【認めるな】と言われます。
傷ついたと言っても、どこかから血が出ている訳でもないものです。
心の中で、自分が壊されたくないものを強く持っていてそれを害されたという思いを強く握っていしまっているのです。観念的な傷つきと言っていいでしょう。
今後夫婦になる可能性も考えてもっとお互い言葉で傷つかないようタフになるために、坐禅会に参加して、傷つかない心を得てください。
言葉で傷ついているんじゃない。その言葉に後乗せした自分の思いに傷ついているんだ。
事件は現場で起きているんじゃない。各自の心の中で起きているんだ。←ココが分かったら坐禅会に来て、そこを見極めて一生傷つかない心をゲットせずにずにはいられないはずでしょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答いただき、ありがとうございました。
ありのままの彼を愛すること、思いやりの心が私には欠けていると気づきました。
そんな自分自身とまず向き合い、少しずつでも彼の不安を取り除く事が出来ればと思います。
ありがとうございました。

丹下様
何度も読み返し思いました。
私にはグレーがないのかなと。
彼に言われた言葉に自分の思いを上乗せして傷ついていたのは私でした。
そうやって思いを上乗せして白黒ハッキリさせようとしてしまうから、私自身がこうして悩んでしまうのかもしれません。
彼の考え、思いをありのままに受け止めること。傷つけたという思いを握るのではないということ。
少しずつ理解をして、心を穏やかにしていけたらと思います。
ありがとうございました。

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