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頭の中だけで生きている自分

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有り難し有り難し 45

 私は大学院で生物学の研究をしている学生です。
私は勉強ばかりしてきたせいか自分の頭の中だけで生きていて
毎日、研究のことや将来のこと、人間関係のこと
など考えことばかりしていて疲れてしまいます。
まるで自分が思考という牢獄にいるようでそこから抜け出して、
仏教で言うところのありのままの現実の世界(自分の感情や妄想、思考に囚われない世界)で生きたいのですがどうしたらいいですか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言葉を先行させない

今日は。自分の興味に従って、長い時間勉強をして来られたのですね。私もだいぶ長いこと学生をしておりましたが、何とも懐かしい日々です。
さて、私なりの指針は、「言葉は感覚を後追いさせる」です。例えば、仰向けに寝っ転がって、手をお腹に載せます。ここまでは行為。すると、身体が呼吸していることを、載せた手が感じ取ります。その次が、言葉の出番です。「ああ、今息を吸ってるな、今吐いてるな」、それがリアルタイムの生、リアルなあなたです。「呼吸」は意味づけです。吸うと吐くは一緒にできませんから。普段は黙ってあなたを生かしてくれている肺や心臓を感じるかもしれません。「ああ、心臓、動いてるな」。感覚の後に言葉です。
それをしばらく味わってください。
すると、耳も働いています。今まで「聞こえてなかった」時計の秒針の音や、外で動いている車のエンジン音、鳥の鳴き声、そんなものが聞こえてくるかもしれません。それから言葉の出番です。「ああ、鳥が鳴いてるな。耳が、それを捉えてるな」。
そんな風に、「言葉を後追いさせる」体験をしてみてください。今まで取り上げてこなかった感覚が、身体が、あなたが生きるために活動しているのを、味わってみてください。
私は、「四六時中それをしろ」とは思いません。けれど、1日のうちでどこか、そんな時間が持てると、何だかリセットされた気になります。私は、スマホの最大の害は、こういった「スキマ時間」を潰し、欲望を植え付けていることにあると思います。そういう「資本社会のカモ」にされないためにも、ぜひお試し下さい。今日は土曜日。ごゆっくり。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

頭で考えることより、今現実目の前のあなたを知る

見るもの触れるものに、意味付けや価値付けをする癖、損得、善悪を付け加える癖をなくすことです。

今私は、コーヒーを飲んでいます。ただコーヒーの味がしています。美味しいやまずいの価値はそこにありません。舌はただその味を感じています。ドーナツを口にしたら、ドーナツの味がしています。ただそれだけ。お昼時なのにドーナツ食べたらご飯が食べられなくなるなんてことは、全く舌は考えません。
事実を生きる、事実を知るとはそういうことです。
目で見たもの、聞こえた声、音、すべてそのまま、あるがままです。間髪入れずにその後あなたは考えを挟み込んでいるはず。頭の中で会話をしているはず。そうしたことをやめ、本当の最初の感覚のみで生きてください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

だから、それをしない。

次の問答をご覧ください。
Qどうやって考えや思いから抜け出せますか?
A思いから抜け出したいのですか?
Qはい
Aでは、どうすればいいと思いますか?
Q考えから抜け出すべきかと。
Aでは、いま、あなたはそういいながら何をやっていますか?
Q考えを使っています。
Aそうですよね。それがクセになっているのでしょう?だから、考えではない方、事実に即した生き方をするべきです。。
Q分かっていますが…それができなく…
A今、それ何やってます?そうやってまた考えの世界に行こうとする。
Qああ、これが考えを無自覚に選択していることなのですね。
Aそうです。
Qあー、でも、難しいですよねー
Aそれ、それ。それもどこでやってます?
Qあ、考えですね。なるほど。つまり、これがいけないのですね!わかりました。つまり、これは…いわゆる…
Aあー、もういいです。そのウルサイ分析は。その分析ドライブのアクセルはどこでやってます?
Qあ、これも考え悩ですね。じゃ、どうすれば?
A「じゃ」とか要らない。「&NEXT」がアンタ多すぎ。少し黙ったらどうですか?
Q・・・(-_-;)
Aそれが、自分を観るという事です。考えモード、事実モードかの区別も自分で分からないくらいに野放しになっているでしょう。考えを選択することを言葉とは裏腹に自分で好んでやっていたのですよ。
Q…!あー、やっとわかりました。もう大丈夫。もう安心です。(^<^)(事実頭脳モード)
Aわかってないっ このわからず屋の理屈屋の愚か者めがっ
Qなんだとうっ!?この野郎っ!(考え頭脳モード)
Aぼかぼか ボコスカ ボコスカ (事実頭脳モード)
以上を参考に、自分が考えから抜け出したいと言いながら、考え頭脳を用いていたことを自覚すれば即ジョーブツです。グッド成仏を。( ˘ω˘ )

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お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

頭で考え心で想え

心を置き去りにして、今ようやく一番大切な「心」に気付いたようですね。
あなたに必要なのは心を養うことです。

最近、僕が実践して、ああ良かったなと思ったのは総合武術です。
二年ほど前から截拳道を習っています。
スポーツ苦手で格闘技なんてやったこともない僕がです。
あくまで僕の経験ですが心は揺さぶられます。
ご参考までに。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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