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先のことを考えると不安で仕方ないです。

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現在6ヶ月の息子を育児しています。もともと授かり婚ではありましたが、生まれて来てくれて良かったと心から思えます。笑った顔を見ると、もっと笑わせたくなりますし、寝顔を見ると、起こしたくなります‥。笑

ですが、可愛い息子の将来の事を考えると、楽しみよりも不安が勝ってしまって、呼吸が乱れたりするんです。この子が熱を出したらどうしよう、大泣きしてまた動機が起きたらどうしよう(以前、息子が3ヶ月の時に、哺乳瓶を嫌がり1時間程大泣きされ、動機が起きたことがありました。その時に一度だけ心療内科に行き、発作時の内服薬を出してもらったことがありました)お友だちが出来なかったら、どうしよう等々‥ 先にある、もしああなったらどうしようを考えると不安になって仕方ないんです。

旦那がいる土日は2人で育児なのでいいのですが、月曜日から金曜日まではほぼ一人育児なので、どうしようもない不安感にかられる事が多々あります。お互いの両親は熊本と秋田なので、頼りには出来ません。

今は精神安定の漢方を内服していますが、効果があるのかよくは分かりません。

こんな可愛い息子がいるのに、また動機が起来てしまうかもしれない‥という思いが一番つよいのかもしれません。毎日呼吸が乱れている気がして、なんだか辛いです。

どうしたら、先の事に不安を感じず過ごすことができるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

子供は子供の主体にまかせる

あなたがどうこうしようという気持ちを優先させずお子さんがこうしたいのだなぁということを常に優先的に考えてあげることです。
それでも「なにをしたいの」「どうしてほしいの」と困ってしまうこともあります。
そういう時はわからなくてごめんねと何度も言いましょう。
その中で、おそらく人間の六感のどこかが苦しいのだと慮り、問い合わせてみましょう。
眼 まぶしい 怖いものが映っている くらい 欲しいものが無くなった  

耳 うるさい 低周波 高周波 超音波 ママが不安な声を出していて心配されている

鼻 料理の匂いが臭い(玉ねぎ・ネギ・香辛料) 空気が悪い  

口 のどが渇く 食物が引っかかっている おっぱい 
 
体 衣服が重なっていて寝ている際に折り重なって苦しい 快適でない どこかが痒い 痛い 成長痛 おむつ 便秘 ガスが出ない だっこしてほしい

心 さみしい パパママが仲が悪くて不安 置いてきぼりの不安 愛情の不足  

総じて女性・母親というものは生物・生命にとって慈悲・愛情・慈愛そのものです。
自覚は無くてもそういう法体であると自身を認め、条件なしに注ぐ、愛情を提供するようにつとめてみてください。必ずその愛情を注ぐという行為そのものによってなすべきことが見いだされるようになります。これは男女問わずそういうものです。

「ああ、こうしてほしいのだね。」ということを無私、無条件のままにやってみてください。

衆生をみるにまず慈愛の心を起こし、顧愛の言語を施す。
どんなオッサンであっても赤子を見るかのごとくに大きな慈母の精神で接してみてください。
できない、私には無理、ではなく、人間が本来持っている力をそのままに感じ取って、そのままに尽くし、注ぎ、施す。
私のここでの回答もそういうものです。
自分を持たないから、相手の渇きに応じたこちらの提供物が自然に出てくるのです。
もちろん、それが必ずしも相手が望んでいるものではない場合もあります。
できる限りそこに近づけるように、こちらを無くして無条件で注いであげてください。
先のことはわかりません。
その子はその子の尊厳があります。
あなたの呼吸とは別の呼吸をしています。
母の偉大性とは我が子でありながらもその子の尊厳を認めてあげられることです。
その子を立派に育てるべく「私心無し」にサポートをなさってください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

周りを頼りみんなで育てる

1人で子育てしているわけではないですよ。つい1人だと思い込んでしまいますが、視野を広げると同じ境遇の人がいたり、先輩ママさん、子育て支援センターの方、多くの頼れる方が近くにいるはずです。
相談にもなってくれます。旦那さんと2人だけで乗り越えることではなく、様々な人の手を借りながら、みんなで育てていくのが子供です。

地域の子育て相談やイベントなどにも積極的に参加したよりましょう。子供が熱を出したらどうするのか、不安は先に勉強し準備しておけば、いざという時に安心につながります。冷静に対処できます。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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