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彼氏に浮気され別れました。

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彼氏に浮気され別れました。
彼氏は、出会い系アプリで知り合った女性と酒の勢いで…
と言っていました。
再構築を願われましたが、心が修羅場のまま信じられず落ち着きもせず、別れを切り出しました。
少し時間が経って、
感謝の気持ち、寄りを戻したいとは今は思えないけどいつか戻せる時がくるならば、戻したいと思ってる事。
それをラインで言いました。直接ではないです。
そして用があり、連絡を取ったところ思い出話になり(別れて2週間も経っていませんが)、
私がこんなに好いてくれてたなんてびっくりした。
寄りは戻せない。
何故なら罪悪感があって前みたいに接せれないし
私も上手く接する事ができないと思うから。
と言われました。
もう終わった事だとは分かっているのですが、
改めて本当に終わったんだなと思うと、涙が止まりません。
そう言われた事の方が、浮気されて別れた時並みに辛いです。

次に行こうとも思えません。
時間が解決してくれるのは知っていますが、結婚まで考えていたので
この先吹っ切るまで長く時間がかかるのが怖いです。
そして次があるとも思えません。
若いんだからって言われますが、職場は女性ばっかなので。
出会いが無いです。

私はどうすればいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その選択は間違っていないと思います。

続けるにしてもシコリが残っているでしょうし、
別れても今のように辛いし・・・。

どのような分かれ道も、様々な気持ちが湧くものです。
もうちょっと時間【時薬】が掛かるでしょうね。

また、
いろいろな場に出向いてみて、
交遊を広げてみてはいかがでしょうか。
人と接することが【人薬】となって、
気持ちが楽になるかもしれませんよ。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

浮気しない男性と出会うためにこそ

女性にとって恋愛結婚とは、当たりくじを引くまで永遠に続きます。
たかだか一回、二回のハズレくじでどうして一生終えたような気になっているのでしょうか。(^<^)
ハズレくじの方が多いのですよ。
相手に対する自分のマイナスイメージ、ネガティブイメージの方で傷ついていませんか?
相手に傷ついているのではなく、自分のネガティブイメージに怖気づいているのだと悟ってください。
自分から自由になれば、次の恋愛も再スタートできるものです。
自分の想いは、彼ではありません。
キチンと分離しておきましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

元彼との思い出は過去のこと、手放しちゃいましょう

ついつい心地良い思い出は、捕まえていたくなるものです。しかし、それは過ぎ去った過去、良い事も悪いことも捕まえておくことはできないのです。

未来も同様、まだ来ぬ未来を心配し、焦り足元をおろそかにしていては、目の前のことがしっかりできず、フワフワと時が過ぎていきます。

今目の前のことに意識を向け生活してください。そして、仕事以外に趣味を持つことがいいです。そういう場に出ていき、男女の出会いとしてではなく、趣味を楽しむのです。そうした中で出会いとはあると思います。
気になることがあれば、仕事以外の場に、どんどん出ていきましょう。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

貴重なご意見ありがとうございました。
まだ上手に出来ないかもしれませんがしっかり地に足をつき、
これから何があるかわからないけど進んでいこうと思います。

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