hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

因果応報はあるのでしょうか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 27

因果応報はあるのでしょうか?

私は、幼少の頃から父方の祖母を好きになれません。
息をするように嘘を吐き、男贔屓で(自分の娘すら貶します)、自分に甘く他人に厳しく、自分の評価を上げるためなら他人を簡単に貶めるような人です。

母は、嫁姑という関係のなかでとても辛い思いをしてきました。今も変わりません。
しかし母は「悪いところばかりじゃないし、私がもっと上手に受け流せればいいの」と言って、我慢しようとします。

たしかに、祖母にも良い面はありますし、私や両親が仕事の間に家事をしてくれることもあり、助かっているのも事実です。

しかし、それを度外視する程度には、過去の負の逸話や、母を含めた周囲にいる女性に対する態度はあまりにも酷いのです。

何年も前に、父に相談して祖母に注意してもらったことがありましたが、逆効果でした。父が不在になった途端に祖母のヒステリックな怒り(もとい八つ当たり)が炸裂しました。

しかしながら、外面は良いので、祖母とある程度親しい人間(それこそ親族レベル)でないと、その酷さに気付きません。

前段が長くなり申し訳ありませんが、ここからが本題です。

因果応報は本当にあるのでしょうか?
あるのだとすれば、辛い仕打ちに耐えてきた母は報われ、他者を傷付け貶めてきた祖母に罰はあるのでしょうか?

何も、祖母に不幸になれと言うのではありません。ただ、気付いてほしいのです。そして変わってほしい。私はただ、家族みんなで穏やかに生きていきたいだけなのです。
これ以上、私の求める平穏を壊さないでほしい。このままではいつか私の心が怒りに喰われてしまいそうなのです。

因果応報があるのなら、いつかの報いを信じていたいです。
信じていれば、少しは心が支えられる気がするのです。

長文、乱文失礼いたしました。
読みにくいとは思いますが、どうか、少しでも心が楽になる回答をいただければ有り難いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

因果応報は必ずあります

 因果応報は必ずあります。但し、必ずしも我々の願ったりするTPO(時、場所、条件)に合わせて具現してくれるyとは限りません。表面を取り繕っている一方で、他者を踏みにじってのうのうとしている人は少なくないと思います。でも、何時かは何処かで何らかの形で、報いは訪れます。現実に訪れているかもしれません。茜色さんがそういう場面に遭遇しないだけのことだと思います。

 仏教では、人間には生まれながら煩悩にまみれていると考えており、煩悩の代表的なものとして貪瞋痴の三毒(三惑)があります。貪(とん)とは貪りの心すなわち欲望のことであり、瞋(じん)とは怒りのことであり、痴とは愚か(物事の道理をわきまえないこと)です。三惑があるから、悪業を行い,その悪業の報いとして苦をもたらします。これを惑業苦(わくごうく)と言います。苦しみから、新たな惑(煩悩)を起こします。そして、更なる悪業を生じ、更なる苦を生み出します。惑業苦から次の惑業苦を生み出すという悪循環を繰り返してしまうのです。

 これに対処する特効薬はありません。可能な方法としては、祖母の貪瞋痴を増幅させないよう気を付け、茜色さんご自身の貪瞋痴をうまくコントロールしていくことです。おそらくお祖母さんの欲望や考え方を変えることは難しいでしょう。可能なのは、言葉や行動に配慮して、お祖母さんの怒りの炎が大きく燃え広がらないように気を付けることです。

父に相談して祖母に注意してもらったことがありましたが、逆効果でした。

注意や諫言はお祖母さんには逆効果であることを学習したわけだから、今後は炎上させるような言葉を慎んでいくしかないと思います。注意したり諭したりすることで変わってくれる人もいますが、質の悪い性格というのは簡単には変わってくれません。ご期待に沿うような回答が出来ず申し訳ございません。

 以前した回答ですが、因果応報について説明した部分があります。こちらの回答もご参照下さい。

人を踏み躙っておいて、幸せになれる訳がない  https://hasunoha.jp/questions/3582

{{count}}
有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
このお坊さんを応援する

因果応報はありません。

 これはあくまであなたにとって都合が悪い人に悪い報いをといってるだけで、それは仏の教えに背きます。「仏となるにいと安き道あり、悪を作らず。・・・」『正法眼蔵 生死の巻』。仏になるということはすべてが悪に見えません。善なのです。だから仏はあなたの思っている因果応報をしません。悪いことをした人が悪い報いを受けたかったら、それは人間同士で行ってください。でも、それであなたの気が晴れるとは思いません。本当に自分の気が晴れる時はお世話になった人に恩返しをしようと思ったときです。お世話になった人に色々考え、自分にとって悪いと思った人は何も考えもしない。これこそが人間同士の因果応報です。
 ひょっとしてあなたも知らず知らずの内に人に対して嫌なことをしておりませんか?それは反省して次にしないことです。一番してはいけないことはあなたに孫が出来た時、あなたの祖母と同じことをしないことです。出来ますか?意外に中々出来ないものですよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

早々に回答をいただき、ありがとうございます。
因果応報があると明言していただけただけでも心が楽になります。善くも悪くも報われるのですから。

たしかに、長年そのままで生きてきた性格を今さら変えろというのは難しいことですよね。
ならば、その性格の受け止め方をこちらが変えていくしかない。

他者を変えることは難しいなら、まずは自分が変わる努力をしなければなりませんね。
「この人がこうじゃなければ…」と、他人のせいにして、私が努力を怠っていたのかもしれません。

無理に祖母を好きになろうとは思いませんが、もう少し歩み寄れるよう頑張ってみます。

本当にありがとうございました。

大鐵さん、回答ありがとうございます。
回答をいただいてから自分なりに考えてみました。
まだ頭の中が整理できておらず、ごちゃごちゃとしていますが、「自分の気が晴れるのは恩返しするとき」という言葉がとても心に刺さりました。

たしかに、誰かに負の感情を抱いていても、自分の心がますます荒れるだけですし。
それなら、心の奥の澱など削ぎ落として、今出来る精一杯の恩返しを考えていこうと思います。

質問文にもあるように、祖母のおかげで助かる部分もあるのは事実ですので、そういうところにもっと目を向けて、自分から穏やかな環境を作れるよう努力したいと思います。

ありがとうございました。

「因果応報」問答一覧

過去の過ちと因果応報への恐れ

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。 一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。 私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。 また、あろうことか ・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった ・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている 以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。 今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。 また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。 そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。 忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。 最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。 また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。 今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。 本題です。 罪を帳消しにしたいとは言いません。 いつか罰は下るだろうと常に考えています。 ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。 こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。 ※内容をかなりぼかしていてすみません。 この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。 また、会社での立場は確実に無くなります。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

苛まれ続けるのならば死を選びたい

この世に因果応報はないのでしょうか? 私は学生の時に集団いじめを受け、卒業してからも今までずっと容姿のことで批判されたり、外出先で出くわそうものなら大声で悪口を叩かれるので一時期は買い出しすら恐怖でした。 やはり、そういった出来事が自分の中で積み重なって性格も歪んでしまい、大学生活はずっとひとりぼっちで、国家試験も落ちて、現在は毎日泣きながら予備校に通っています。 極めつけに、私をいじめていた女共は今彼氏もできて、友達に囲まれて幸せそうです。 現在は遠く離れた土地にいますが、腐れ縁っていうのですかね、以前ばったり会って、それはそれは幸せそうでした。 私は信頼できる友達も、相手もいないのに。 ふとした瞬間に、涙が溢れます。 予備校にいるときに泣きたくなかったのに、この間はついこぼれてしまいました。 常に、幸せそうな人を見ては憎んで心の中で貶してしまう自分が嫌で、日頃から出来損ないの社会不適合者と、自分を罵ってしまいます。 正直言って、恋人が欲しいとは思っていません。ですが、いじめてきたやつらは幸せで私はどん底にいることが悔しくて、情けないですし、 街で仲の良さそうなカップルをみると、微笑ましいより、憎しみが湧いてきてしまいます。そして「私はそういう相手がなんでいないんだ」とか、普段なら考えないことも考えてしまいます。 多分、恋人が欲しいというのは、女に生まれてしまったことによる生存本能だとわかっているのですが、今の状況が惨めすぎてそんなつまらないことに囚われてしまっています。 この様な劣等感に、苛まれ続けない良い考え方があれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ