罪人の過ごし方
いつもお世話になっております。
私は、普通の人なら経験しないような本当に酷い悪事を犯しています。
それも、1つや2つではありません。
動物を責任持って大事にできなかったこと、身内を、大事にできなかったこと、数えきれません。
家庭環境や家族の影響も少なからずあるのではないか、と責任逃れをしようとしても、やはり自分の性根、自分の選択を誤った結果が、今この抜け出せない後悔と絶望です。
あの過去がなければ、私は普通の人のように、後ろめたさを抱えず自分の幸せを胸を張って求められたはずです。
自業自得という言葉が胸な重くのしかかります。
苦しみ、後悔から抜け出したい、普通に自分の幸せを願いたい、と私が望むことは許されないと考えています。
しかし、受け入れられない時も来ます。
その葛藤です。
罪への反省より、自分が幸せになってはいけないことに後悔が勝ってしまう時もあります。
生き続けるにしても、死ぬにしても覚悟ができません。
正義からすれば、私は死んで当然の人間だと思われることが怖いです。
まとまりの無い内容で申し訳ございません。こんな人間で旦那にも子供にも申し訳ないてす。人並みに結婚なんてしてはいけなかったと、今更悔やんでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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懺悔
仏教では懺悔(さんげ)を奨めております。
ミラクラさんは後悔しておられる。
許せない自分を責め続けていますよね。
懺悔とはそうではなくて、罪を見つめ、罪を犯してしまった自分を恥じて、二度と繰り返さないことを誓うこと。
そもそも、どれだけの人が完全な「正義」でしょうか?
宗祖の言葉には「蟻を殺せるものも地獄入り」なんてものもあります。
聖書にも「本当に罪を犯したことがない者だけが、罪人に石を投げてよい」と言うと誰も石を投げれなくなったなんていう話もあります。
しかし、罪という重りは消えないのでしょうか?
またも宗祖の言葉を借りると「大きな石は水に沈むが、船に乗せれば浮かぶ。業火も水の働きによって消える。懺悔すれば罪は消える」
またお釈迦さまも「もし懺悔しようと思ったなら、姿勢を正し、正しい教えと行いをするべし。罪は智慧の光によって消除する」(意訳)とも。
お釈迦さまのお弟子さんの中にも、大量殺人を犯してしまった方もいます。
彼は出家した後も、殺された遺族に石や棒でひどい目にあわされました。
ですがジッと耐え、修行を続け、いつしか彼に石を投げる方はいなくなりました。
生まれた時から悪に染まった赤ちゃんはいません。
ミラクラさんのいう「家庭環境や家族の影響」のように、悪事を働き罪を犯すことになった原因・因縁は何かしらあります。
自分の罪を忘れろと言っているのではありません。
その罪を恥じて、代えって旦那さん子どもさん達を一生懸命に幸せにしていこうっていう選択肢を取ることが懺悔です。
そしてどうぞ、仏さまの正しい教えと正しい行いの仕方を学んでいって下さい。
質問者からのお礼
罪は罪と忘れず、旦那と子どもを一生懸命に幸せにしていこうと思います。懺悔です。
御回答、ありがとうございました。