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白骨の御文章に思う

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広島在住で、いわゆる安芸門徒と呼ばれている地域の者です。
葬儀と言えば導師による読経の後、定番となっている《白骨の御文章》の拝読があります。
拝聴している遺族、縁者にはこの御文章の言葉ひとつひとつが重く胸に突き刺さり 感極まって涙する姿は参列者の心をも締め付けるものがあります。
そこで以前から私には一つの疑問がありました。
法話を聴聞する為にお寺参りをした折、読経後に住職あるいは講師としてお招きした僧侶による御文章拝読がありますが 
この御文章は数ある章の中から日替わりで読まれている様です。

しかし なぜか私の地域では《白骨の章》にだけは巡り合う事が殆どありません。
普段のお勤めの祭には意識的に避けて、葬式の時に用いる切り札として温存している様にさえ思えるのです。
(もし、他の地域あるいは他宗派では違うのであればごめんなさい)

その理由として お寺参りと言えばどちらかと言えば余生短し老人が多いので 死を意識させる話題には触れないでおこう。
そして葬式に限り《白骨の章》で締めれば無難であろうといった僧侶の方々の思惑が働いているのでしょうか?

“人の死 ” というものは日常においては誰だって考えたくはないし、忌み嫌われる事はわかりますが 死 という事ほど絶対的に決まっていることはありません。
なので 子供のうちから葬式以外の日常の中で《白骨の章》を耳にするチャンスをたくさん頂くとか 御文章に綴られた深い意味に気付かせて頂く機会が多い生活を送ることは決して悪いことではないと考えるのです。

いつか必ず自分の番が回ってくる死に対しては 若くて元気な時から真剣に考えておかなければならない大切な事だと思うのです。
そうすることが 今の人生を真面目に正しく生き抜く力になるのではないでしょうか。

とは申しましても 現実問題として 住職様の立場から言えば「お寺参りの度に《白骨の御文章》を聞かされたのではたまったものじゃない!」と門徒の方から批判を受け、お困りになるかも知れませんが
私の様な考を理解して頂ける方はおられないものでしょうか?

また《白骨の章》を敬遠しないで日々の暮らしの中に活かせる良い工夫があれば お聞かせ頂きたいと思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おっしゃる通りだと思います。私見ですが・・・。

〈なので 子供のうちから葬式以外の日常の中で《白骨の章》を耳にするチャンスをたくさん頂くとか 御文章に綴られた深い意味に気付かせて頂く機会が多い生活を送ることは決して悪いことではないと考えるのです〉・・・おっしゃる通りです。
さはさりながら当地(讃岐)でも「慣習」として、《白骨の章》はお葬式から満中陰までのようです。やっぱり、あまりにも「生々しいからでしょうか・・・」(小生の個人的な感想です)。
ちなみに近頃の若い方には「文語体」が馴染まないようです。20年ほど前、お祖父ちゃんが亡くなって、毎週お勤めの後《白骨の章》を拝読していました。小学2~3年生のお孫さんが、ある時「お住っさん、苺って何?。人参って何?」と問われました・・・😅。
貴兄ならお判りでしょう・・・(笑)。それ以降、お経本を持参し、字を見ながら拝読するようにしました。もちろんシッカリ説明もしましたが・・・。
小生の意見としては、お寺さんはどうあれ、貴兄は「いつでも気の向いた時」ご拝読ください。なお、若い方がご一緒なら、説明してあげて下さい。合掌 南旡阿弥陀仏

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稀代の名文だけに心を穿つ

へんくつ様こんにちは。拝見させていただきました。

白骨の御文章についてのご質問でしたね。「葬儀の切り札」という言葉、なるほどなと思いました。確かに平生の中で御文章に触れる機会を持っていただくことはとても大切なことだと思います。正直「下手な法話」より蓮如様の名文の方が心を穿つといいますか、心に「空虚さ」を与え、それが仏法の大切への引き金になると思います。私自身、この御文章に引かれて仏門を叩いた思い出深い文章でもあります。

ここからは私の推測ですが、出し惜しみといいよりは、今はそういう決まりはないと思うのですが、一昔前は作法として葬儀の時のみに拝読すべしというのがあったと記憶しています。ですから平生で拝読してこなかったのだと思います。

後考えられるとすれば、月のお参りなどで忙しい住職にとっては、拝読に時間がかかりすぎるので敬遠している可能性もあります。わずか何分かではないかと思われるかもしれませんが、それが何十と積み重なれば大変な時間となります。これは住職が面倒と考えているのではなく、お参り先のお家の待ち時間を少しでも軽減しようとする考えです。

私自身、今まで何軒かのお家で「ぜひ白骨の御文章を聞かせてほしい」と頼まれたことがあります。そのお家では毎回拝読させていただいております。また、法事などでも白骨の御文章や、無常を感じさせる内容の御文章を拝読するようにしております。

住職としては、拝読したものをへんくつさんのように丁寧に聞いてくださる方がいるのは本当に有り難いことですから、一度ご相談になってまずは自身のお勤めする法事などでも拝読していただけるよう進言されてみてはどうかと思います。

またこれを機縁といたしまして、蓮如様のお言葉は日本語としても名文だと思いますので、他の御文章にも触れていただけたら、住職としては感激の極みだと思います。合掌

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御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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質問者からのお礼

早速の回答有難うございます。
私とて子供の時分には意味は殆ど理解できませんでした。
文字を読むことによって初めて生々しい人間の宿命というものをあらためて認識し 
自分に何ができるのか 何をしなくてはならないのか悩んだものです。
まぁ、頭の悪い私は青年期になればそんな事は忘れてしまって青春を謳歌してましたが
人生も終盤にさしかかる今となっては 若い人達にこの事をどう伝えるべきか自分の力量不足に
はがゆい思いをしていますので お知恵を拝借したいと思った次第です。
ありがとうございました。

けんじゅ様 
大変丁寧なご説明 有難うございました。
私の気持ちを理解して下さる方がおられる事に喜びを感じました。
平生の会話では死にかかわる事を口にすれば ≪縁起が悪い≫と言って嫌われるのでホンネで語り合える相手にはなかなか出合えません。 
私はいまだ自分の生死にかかわる事態に直面した事がないのでどこまで平静を保てるか自信がありません。 なので日頃より自分なりに修行を積みたいと考えております。
ありがとうございました。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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