艱難辛苦してまで生きる意味とは
今年大学三年生になります。
生きる意味について度々考え、その度に足踏みしネットや書籍を漁っているうちにこちらのサイトにたどり着きました。
私は働くことが嫌いです。職種を問わずとにかく働くことが嫌いです。世の中のパーツとして、意思を持たない機械としてただ使われることが耐えられません。ですが働かなければいけないのが社会の構造である事もまた理解しています。
こんなことを話すと「甘えるな」という言葉を頂戴しそうですが、苦しい思いをして(甘えないで)まで生きる意味とはなんなのか分からないのです。
趣味でしょうか、恋人でしょうか、お金でしょうか。考え続けていたら分からなくなって終いには死んでしまえばいいんじゃないかと考えてしまいます。
理想通りにいかない世の中であるとわかってはいるのですが、わかっているからこそそんな世界を生きてなんの意味があるのかと考えてしまいます。
具体性のない質問で大変恐縮ですが回答して頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
働くって本能なんですよね
僕はお坊さんですが、仕事の9割は事務仕事です。
お給料は、大学生がバイトで稼げる額の半額くらいの値段です。
けれど、好きな仕事ができているので幸せですし、やりがいがあります。
それはさておき、仕事って、なんなんでしょう。
縄文時代で言えば、狩こそが仕事ですよね。女性なら、子育てと家の守でしょうか。
弥生時代以降の農作文明で言えば、やはり稲作および農作ですね。
要は、当時の「サラリーマン」といえば農民だったわけです。
「働かざるもの食うべからず」
という言葉は、現代では通用しません。
現代には、「働かないのに食える人間」がたくさんいます。
しかし、生命の本源としては、異常ですよね?
鳥だって虎だって、虫も植物も種の保存のために働いています。
人間、働かないのは意味がありません。
主婦も、アフィリエイターも、株してる人もみんな対価に見合った働きをしています。
働くのは生命の本能です。
他人のため、ではダメなんですか?
自分のためには特に理由がないなら、他人のために生きてはどうでしょうか?
あなたが今まで生きてこられたのは、家族や、国民の税金のおかげでもあります。
やっと働いて家族や世の中に恩返ししたり、自分で稼いだお金で旅行したりできるのです。
お釈迦さまは、自分のためにやるべきことをすべて成し遂げた(修行を完成して悟った)後は、他人のために生きました。
大河ドラマなんかを見ても、主人公達は他人のために奔走したりもします。
自分のためばかりではなく、他人のためにという発想に切り替えてみては?