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無職で療養中なのが辛い

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会社に勤めていたときに自殺を図ったものの怖くなり途中で止めました。それを両親に見つかり会社を退職しました。

退職以前から精神科に通っており、自殺を図ったことを伝えると
しばらくは仕事やアルバイトはしてはいけないと言われました。
退職して一ヶ月ちょっと経ちましたがもう限界です。
母からは「早く仕事探して」と言われています。
自分自身も「早く仕事しないと」など自分を追い詰めています。
正直辛いです。気の紛れることをしても、ふと我に返り自己嫌悪したり、虚しくなったり、自殺を考えたりします。

あと精神科から出された薬が効かないので2回ほど変えていますが、あまり効いているとは言えません。
もう薬を飲むのも病院に行くのも止めて働こうかと思っています。
しかし求人を見るだけで終わり、だらだらしています。
何もやる気が出ません。

こんな自分は生きる価値はないので、3月ぐらいには自殺をしようと思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「死ぬ」よりも「死ななくてもいい生き方」があります

自分で死ぬのってメンドクさいっすよ。大変っすよ。
自分が死んだあとの死体の跡片付けとかしてもらう人とか傷つけますし、遺族のこととか、同級生にも暗い悲しい印象与えちゃいますし…
私も昔死のかなと思った時期があります。
過去質問のどこかに書いてあります。
死んでもいいかなっていうエネルギーって活用次第でものすごいエネルギーになります。
こんなことで死んでたまるか!っていうエネルギーになります。
心って、自分が思ったことに影響されやすいものです。心がスポンジなら思ったことが絵具みたいな。でも、こころって不思議なことに染まったまんまじゃないんです。
スポンジだったらシミは残る。
さっきゴボウをスポンジで洗ったらエライことになってます。まっくろくろすけ。これで子供のコップとか洗ったらわたしゃ妻からブーブー言われて死ぬよりほかありません。そうだ、しのう。(死ぬんかい)
死ぬ前に一度蒙古タンメンと天下一品を食べたいです。
あ、楽しいこと考えましょうよ。
人間って自分の欲に忠実になることって結構大事っす。
心が弱いんだったらドラゴンボールの悟空や「カムイ伝」のカムイくらい「オラ、強くなりてぇ。」って欲やエネルギー、欲すること、願いを持つといいです。繊細なガラスのような心が防弾ガラスのようになります。世の一度病んだ人間さんたちをざっとみてください。みんな自分の関われることとしか関わっていない面があります。それは力なのです。私もシノーと思った時、もう修行道場で悟り開くまで死んだ気でやるぞ、思って修行道場に死にに行きました。腐った私を導いてくれる理想的なお坊さんに会えると思ってたらフタを開けたらパンチとかキックとかしてくるKUSO坊主KUSO野郎の集団の巣窟でした。あれ?来るトコ間違えちゃったかな?あれ?今このお坊さん、僕の肋骨にパンチ入れたよね?あ、メガネが壊れた。あ、修行仲間、死んだ。ぐへー、そんなこと考えるゆとりもありません。ムカついて先輩僧をボコボコにしたこともありましたね。そんなこんなで人生山あり谷あり遭難アリ迷いアリ苦しみアリ涙あり悟りアリ仏アリ色々ありで、ようやく人から使われる人間が止まりました。あなたも今は誰かにこき使われたり、人の顔色伺ったり、人の評価とか考えてるんじゃないでしょうか。生きる価値だとか何だとかは今から探すものなのです。いつでも電話どうぞ。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

休めと言ったら休んどけー!!

文句を言わず、黙って休め。
休む時にはちゃんと休め。

休むべきときに休まないから、パフォーマンスが発揮できない。
パフォーマンスが発揮できないから、自分を無価値と思い込む。
自分を無価値だと思い込めば、大抵みんな死ぬ、死ぬと言い始める。

休むべき時には、
真剣に休め。徹底的に休め。一生懸命に休め。一心不乱に休め。

それ以上何も考える必要はない。
大丈夫。
だから、ゆっくり休んでいいんだ。

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談してください。 でも、悪い事とやりたくないことはやりません。 https://www.facebook.com/rental.monk rental_monk hasunoha.tenrakuin@gmail.com
平日は夜間のみ対応可能。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ