死にたいと呟く息子について
子どもがSNSで頻繁に「死にたい」と呟きます。
心療内科にも受診し精神疾患で治療もしています。
一時は前向きになりましたが、また気持ちが下降気味のようです。
SNSで呟くたびに「いつか本当に死んでしまうのでは?」と思い、
私自身も眠れない夜を過ごし精神的にまいっています。
そんな時にもともと興味があった仏教と出会い お釈迦様の話や我が家は曹洞宗なので道元さんや良寛さんについての本や動画を見て、心の拠り所としています。
さて、「死にたい」と思う息子についてですが、仏教的に考えたら 息子自身が自ら気づき悟るしか手立てはないようにも思えます。
今まで息子を心配して力になって来たつもりですが…
反抗期や家庭が複雑なので反発心もあるようです(プロフィールに記載してありますが)
結局、今後 息子がどうなるかは分かりませんが、治療は怠らず、
私自身は待つしかないように思いますが、お坊さんはどう思いますが?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「死にたい」に込められたもの
お子様が「死にたい」と発信すること、親としては本当に気が気じゃないというか、何とも言えない辛さをひな様もお抱えの事と思います。またこれまで大変に苦労を重ねてこられましたね。お子様も、ひな様も本当によく頑張って来られました。
さて、「死にたい・死にたい」と言う人は死なない、などと言われたりしますが、やはり「死にたい」と言う人は死ぬリスクを抱えています。その「死にたい」という言葉には
「死にたいと思うほど苦しい」
「消えて楽になりたい」
「この先に何も希望が見いだせない」
「誰もわかってくれない、認めてくれない」
など様々な気持ちが込められている事と思います。その表現としての「死にたい」なのでしょう。
おっしゃる通り、そこから抜け出すには「自ら気づき悟る」、それを「待つしかない」とも言えるかもしれません。そう割り切ることも手立てでしょう。そして最終的にはお子様がどんな選択をしても受け入れる覚悟も。
しかし現に生きていらっしゃるお子様が「悟る」「気づく」ためにはやはりその「縁」が必要です。なにが「縁」となるかはわかりませんが、できることはその「縁」となり得そうなものを提供し続け、あとは見守り、まかせることでしょうか…。
もちろん「縁」を提供するとは一方的に「ああしなさい・こうしなさい」と押し付けることではありません。
むしろお子様の話を聞く、そして認めるということが中心でしょう。時にはお子様が表現しきれない気持ちを「こういうことかな?」と言葉にして言い当てることが出来れば支えにもなるかもしれませんが中々難しいです。
SNSには「死にたい」と発信する人特有のコミュニティというかつながりがあります。そこで支え合える人もいれば、傷つけあってしまう人もいれば、怪しげなものに引っかかってしまう人もいます。しかしそれがお子様にとって一つの自己表現の場になっているのであれば取り上げることはできないでしょう。
もしお子様も興味を示すようであればhasunohaにおける「死にたい」と発信する方と僧侶の問答も紹介してみてはいかがでしょう。
お医者様か、ご家族か…SNSか…だれかがお子様をそのまままるごと認めて受け止めるならば、そこから縁が紡がれていくかもしれません。
お子様もひな様も心安らかになることを念じます。
質問者からのお礼
吉武様 心のこもった回答をありがとうございました。
なぜ死にたいと思うのか…おっしゃる通りです。
全て当てはまってます。
息子を生きる道へと導いてあげたいけど、今は何度も話し合う中で 親に対しての反発心が芽生え 「お母さんは何で子どもを産んだの?」「産んでも子どもを不幸にするだけだよね。恨む」と言われてしまいました。
何を言っても心に響かないようです。
ですので、覚悟をした上で待つしかない!と言う結論に至りました。
しかし、これから生きていく上で 息子にとってプラスになるような「ご縁」があることを願わずにはいられません。
本当はここを抜け出して生きてほしいです。