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命とは。

回答数回答 1
有り難し有り難し 21

先日もこちらでお言葉を頂いた者です。
命は親を選んで来てくれると聞いた事があります。なぜ空に帰したあの子は私を選んだのでしょうか。
主人は子供は2人までと言ってました。理由は自営を始めたばかりと言うこと、自分の年齢、子供達に我慢さすこと無く生活させてやれるには、2人が限界だと以前から話していました。しかし私は3人欲しかった。
3人目を妊娠したその月(まだ妊娠したとは思っていなかった)親に借金をしなければならない程に生活が苦しくなっていました。それから妊娠が分かり、その時の話し合いで、今いる子供を守りたいと思ってしまいました。お腹の子の命を取らなかった。私は3人目を欲しがっていたのに、お腹に宿ってくれたのに、あの子の生きようとした強い思いを潰してしまった。あの子はなぜこんな弱い私を母に選んだのでしょうか。
命より大事な物があるのか。自分が情けないです。先祖はどう思うだろう。高齢で父を産んだ祖母はどう思うだろう。母が死産した私の弟はどう思うだろう。生きたかった命全てに申し訳ないです。
どんな命も、生まれなければ良かったと言う命は無いと思います。なのに、なぜ私は堕ろす決断をしてしまったのだろう。なぜあの苦しい時に妊娠したのだろう。一年前だったら、産む選択しかなかったかもしれない。
何故 が頭から離れません。

弱い私だからでしょうか。

何度も申し訳ありません。
今ある私の命は何の為に生かされているのでしょうか。我が子を苦しめてまでなぜ私は生かされているのでしょうか。
全ての事に意味があると思っていました。
でも、あの子は何故。あの時何故私は。と意味の答えが出ないままです。

申し訳ありません。未熟な私にお言葉を頂ければと思います。宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いのちの事実

「どんな命も、生まれなければ良かったと言う命は無い」

おっしゃる通りだと思います。授かった命には生きたいという願いがあります。
しかし、その「命は親を選んで来てくれる」というのはあくまでも授かった側の感動を持った受け止め方であって事実ではないでしょう。

仏教で避けらない苦しみとして「生・老・病・死」の四苦が説かれます。仏教で苦とは思い通りにならないという意味です。生まれもまた思い通りになりません。

同時に仏教では次のような教えもあります。中国の僧侶である善導大師が説いたものです。

「観経疏(序文義)」

「既に身を受けんと欲するに、自の業識を以て内因と爲し、父母の精血を以て外縁と爲す。
因縁和合するが故に此の身有り。」

『私たちがこの世に生まれるのは、自分の意志で「生まれたい」と願うことを原因とし、父と母になる人を縁(条件)として誕生する。原因と縁(条件)が整ったからこそ私のこの身がある。』(意訳)

というものです。父母の出会いは縁(条件・きっかけ)に過ぎず、自分で生まれたいと願ったから生まれたのだという人生に主体性を持つ教えです。

しかし、私はこれを「命は親を選んで来てくれる」とは解釈していません。

あくまでも、

「私」は「私」(=いのち)として生まれたいから生まれた(宿った)。

のであって、

「私」は「この私」(生まれの境遇・条件を含めた私)として生まれたいと願い選んだわけではない。

ということです。

生まれたいとは願ったけど、どう生まれるか選んだわけでなく、生まれたらこの私だったということです。

「子が親を選んで生まれてくる論」は親子の愛情物語の美談として語られがちですが、私は毒親家庭に生まれた方や様々な差別に苦しむ方にとっては非常に危険な解釈だと感じています。

あなたは当時の選択を非常に後悔し苦しんでおられますが、当時のあなたにはそれしかできなかったのです。
生まれたいと願って宿ったいのちですが、生むことができなかったのです。それを良いとか悪いとか解釈する前に、そうしかできなかった事実としてまず受け止めなければいけません。

その思い通りにならない事実があまりにも重いからこそ、事実に目をそむける私は仏様の教えにこの身の姿を学び、お救いいただくのだと思います。

これから仏法にいのちの事実を学んでいきませんか?

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
あの子の居る世界がどう言うものか、少しでもそばに寄り添いたくて、仏法の本を読み始めていました。
自分の想いや行いはどこからくるものなのか、学びたいと思います。救われようと思いません。あの子にただ寄り添いたい。勝手でしょうがそう思います。

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