hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

二諦解釈について。

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

ツォンカパと龍樹の勝義諦 世俗諦についての解釈の違いは何でしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

質問の為の質問に意味はない

事実は一つ。解釈は無限。
悟りという心のありよう、事実は一つです。
解釈は悟りではない。解釈は人が後から後付けて意味を添えたもの。実質的には思想です。
「解釈」の世界を相手にしたってショーガナイでしょう。
解釈や思想は悟りじゃないんだから。(._. )
解釈ってのは知識、情報、アタマの中のワールドですよね。
そういう風に仏教を知識や解釈で理解しようとするのはペケです。
それは知を愛するスタンス「哲学」です。
「哲学」では悟りに至れません。
仏教は「知」を愛するのではなく「事実」を愛するのです。
龍樹、ツォンカパの解釈以前の事実。
「はじめに言葉ありき」目線では哲学、学問。
「はじめに解釈ありき」目線も哲学、学問。
「はじめに事実ありき」ビジョンが仏教。
解釈以前の世界に住することだからです。
ずーっと、理屈っぽいことを訪ねておられますが、あなたは何をやっているのでしょうか。
それをやって悟れましたか?
心が安らかになりましたかな?
そういう知識欲を満たすようなことばかりやっていて悟れると思っておられうのですか?
「深遠な」という事で仏教を高みに祀り上げて特殊化させる煩悩の一種です。
そこに向き合ってみましょう。
いつまでも論や解釈を論じても「人生の苦しみの根本的解決」にならないのではないでしょうか? 
(-"-)ここまで申し上げるのは、あなたに本当の仏教に出逢って頂きたいからです。
あなたはそれを探求することが仏教だと思っておられ熱心に求めておられますが、それをやった結果の実質を観て頂きたいのです。
ここまで厳しく申し上げるのは、かくいう私もそういうことばっかりやってきたからです。
ですが、理屈ばっかりで全然悟りに至れなかったからです。
南を目指してはじめの一歩を間違えると別の方向に行ってしまうのです。
悟りを目指して解釈・思考の世界に向かっても何の益もないのです。
解釈、分別、分析で悟りを求めても求めるスタンス自体が間違っちゃっているので悟れませんよ?
学問をやりたければやり続けてください。
生老病死から救われる中身のある仏教を学びたければ、お釈迦様のように、それを捨てる勇気をもつことです。君見ずや絶学無為の閑道人

{{count}}
有り難し
おきもち


丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
このお坊さんを応援する

「二諦」を理解する意義について

akbcde様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「龍樹大師の二諦」と「ツォンカパ大師の二諦」の相違についてのご質問、誠にありがとうございます。

龍樹大師が「中論」にて「二諦」について言及されて以降、世俗諦と勝義諦のそれぞれの解釈につきましては、精緻な議論が展開されて参りました。

例えば、「中論」の主な注釈書だけでも、ピンガラ大師の「注釈論」、ブッダパーリタ大師の「根本中論註」、バーヴァヴィヴェーカ大師の「般若灯論」、チャンドラキールティ大師の「浄明句論」、そしてツォンカパ大師の「正理大海」、また著者不明の「無畏論」と、ここで数えるだけでも六つもございます。

その中でも中観帰謬論証派の流れとなりますのが、ブッダパーリタ大師、チャンドラキールティ大師、ツォンカパ大師のものとなって参ります。

そして、ツォンカパ大師の中観思想も、チャンドラキールティ大師の中観思想とやはり異なるところがございまして、「二諦」の解釈においても、確かに、ツォンカパ大師は、チャンドラキールティ大師の「入中論」における二諦解釈を引き継ぎながらにも、独自の二諦解釈を示されておられます。

さて、ご質問の内容に戻りますが、正直、違いというよりか、釈尊以来の「二諦」に関する教説というものが、時代に応じて、精緻な議論が必要になっていったというものとして、違いではなく、釈尊から龍樹大師へと引き継がれた「二諦」の議論が、更に発展して、ツォンカパ大師まで至ったということになるのではないかと存じます。

ただ、龍樹大師の二諦にしてもツォンカパ大師の二諦にしても、理解する上で大切となるのは、二諦において、何を否定して、何を肯定するのか、あるいは、何を否定するにしてもどこまでとなるのか、何を肯定するにしてもどこまでになるのか、そのことを明らかにすることによって、一切のモノ・コトについて正しく設定することができ、迷い苦しみのありようから、悟りのありようまでもを正しく設定することができるというものとなります。

そして、正しい悟りへと向けた階梯を明らかにすることによって、悟りへと向けた取り組みにしっかりと励んでいけるようにするためとなります。

上記のことが、二諦を理解する意義というものとなります。是非、しっかりと理解して、仏道の修習に努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち


質問者からのお礼

皆様 回答して下さり有難う御座います。

「仏教全般」問答一覧

できる範囲での仏教でいいのか

短期間に多くの質問をして申し訳ありません。 hasunohaに出会って、自分の心と 向き合うための知恵や方法を少しずつですが知ることができました。 特に死生観や生きる意味については お経にしめされている教えや、hasunohaでの問答で 少しずつ道が見えてきたような気がして、 仏教の教えや考え方を取り入れて生活したいと 考えるようになりました。 そこで自分は、書籍などで仏教の作法やお経を調べて 実践しやすいものを生活に取り入れてみたのですが 家が檀家ではないし、近所にお寺が少ないので 自分がしていることが仏教的によいのかがわからなくて、 自分が読んだ本についても、今までの学の範囲内で 意味を考えているかもしれないので もしかしたら解釈が違ってしまっているかも、と不安です。 生兵法は大怪我のもと、のように 檀家でない人、制式に入信していない中途半端な人 が仏教の教えや作法などを生活の中に取り入れても 効果はないのでしょうか? 信仰はどこから有効なものなのでしょうか? また、今後自分がどうしていくべきか (どのように仏教と付き合い 生活の中に生かしていくべきか) を教えてください。 この質問が、今の仏教に対する冒涜のようになってしまっていたら 申し訳ありません。 乱文失礼しました。 追伸 今自分がしていること 寝る前に念仏を唱えて、阿弥陀さまにその日のことや 次の日のことについてご報告させていただくこと。 同じように空いた時間に念仏を唱えること。 お経や教えを心に留めて日常生活をすること。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

仏教駆け込み寺 自殺防止・DV・虐待・鬱 相談窓口のご案内
hasunoha YouTubeリスト 回答層YouTuberのまとめ

関連コンテンツ

縁切り供養寺大法寺