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『女性』の価値とは?

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お世話になります。
『女性』への価値について世相の意見に疑問や不審に思う事があります。
私は現在独身で恋人が出来た事は一度も無く、プライベートでは絵を描く事に没頭しているのが好きです。そして、最近は私の周りでは結婚・出産ラッシュが続いています。そんな中よく言われるのが、『何故彼氏をつくらないのか?結婚願望は無いのか?』いという事です。

私は特に今は絶対彼氏をつくらなきゃ!結婚しなきゃ!という強い願望は無く、いずれ出来たら良いなと軽く考えています。ですが、その事を話すと、周りからは早く出会って、結婚・出産した方が良い。結婚・出産は素晴らしいと、(時に説教)言われます。

確かに結婚はめでたく良い事で、出産も女性のみ経験出来る特権で素晴らしい事だとは思います。でも、それをあまり意識していないからと言って、上記のような事を力説されると何だかむなしい気持ちになります。まるで、女性としての価値が無いと言われているような気がして…。特に私は人に強要される事が一番嫌いで、そのような事を言われると「一生お独り様でいてやる!」と対抗意識が出てしまいます。

独身の女性でもとても活き活きしている方もいらっしゃいますが、そのような方は、程度の地位や実績、能力などがある方が多く、私にはそのようなものはありません。
職場やプライベートでも既婚者や彼氏が居る人がほとんどで、独身なのは私ぐらいな事が多く疎外感も感じます。

でも、自分を磨き自分らしく生きる為に、人生を自分自身の為に使いたいので、結婚や出産などにあまり捕われたくありません。
こんな考え方をしている女性はやはり異端なのでしょうか?そして、女性としての『役目(結婚・出産など)』をしない女性は別の能力・地位が必要なのでしょうか?

長々となりましたが、ご助言していただけたら幸いです。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

デブの価値はあるのでしょうか?

こんにちは。歩く豚足、ブイヨン丹下と申します。
私は最近、ブーデーです。
昔は痩せていたのですが、日に日に太めになっていきます。
映画「ブタがいた教室」にも豚役で出演依頼が来ました。
デブとしての価値はないのでしょうか?いいえ、そんな事はありません。
ビニール袋に入れてうどんを踏んでこねる時「ああ、デブでよかった」と誇りに思えます。だって立ってるだけで沈んでいくのですもの。
そしてそのうどん食べてまたブーデー。
今度は漬物石になりたいと思います。
ヒクツには思いません、ニクツいてますから。
凹んだりしません。お腹凸ってますから。
心、折れたりません。ハムみたいに太めですから。
悲しくて涙が出たりもしません。冬でも暑くて汗いてますから。
最近、北朝鮮の将軍様に妙に親近感を覚えます。
何でオレが手ェ振ってるんだろう?と思うくらいです。
彼となら食べ物の話で盛り上がれるんじゃないかと思います、食べ物食べながら。
あの食パンみたいなアタマ、マネしてもいいと思っています。
さて、あなたはどうでしょう。
私は悩みません。(少しは悩めよ)
あなたは「女性としての価値が無~」と仰いますが、誰もそうとは言ってないでしょう。それはあなたが言われた後に二次的にヒクツに思っただけです。
一生独りでいるなら私のように肉厚になって下さい。ニクがあなたを包んでくれて二人羽織で暖かいです。女性としてのお一人様を極めたければ、是非坐禅会に来てください。本当に一人でも幸せが得られるようになれます。
あなたは人の情報にグラついています。
本当に一人になれる人とは、人から何を言われても、その情報にグラつかなくなれることです。その為には坐禅して自分が他人から言われた言葉を自分が脳内情報化して自分で自爆していることを見抜いてください。そして、自分に騙されなくなればへっちゃらになれます。坐禅は私の様な豚足でも座れます。ぶひぶひ。つけてもらいたい野菜があったら私が漬物石になって圧しておきます。この時期ハクサイとかウマいですよ。
私は会う人ごとに「太った太った太った太ったノコッタノコッタ太った」言われます。
全然気にならなくなりました。(少しは気にしろ)
何故なら、相手の情報をお肉が跳ね返してしまうからです。自分を満喫しましょう。(。-`ω-)

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

マザーテレサも結婚も出産もしていないですよね。
自分が納得する生き方ができれば良いのではないですか?

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僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動する指圧師、作家、音楽家。タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され世界各地で出版されている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8%E5%8F%8A が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります) なので、修行したい方、人のために涙する方、楽しいことが好きな方はぜひ来て来てください。あなたを歓迎します。 ※毎週、法話を配信しています。書き起こされた法話は、下記でご覧いただくことができます。 http://taosangha.com

人は人

今こうしなきゃという事は、無いのでは。

あなたの人生、まだまだ、やりたい事やりつくしていないのではありませんか。

恋愛も、結婚も、タイミングですから。

そんなに深く考えないで、言われても、聞き流したらいかがですか

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ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

人それぞれの人生がある。しかし、自分への嘘には注意。

結婚、出産にこだわる必要はないでしょう。どんな人生でも、ご自分が納得できていれば問題ないわけです。しかし、あなたは問題にしている。

男性とのお付き合いの経験がないことに不安を持っているのではないですか。このままでいいのかと。
もし、人から言われヘソが曲がってしまったのなら、それは自分に嘘をつくことになり、誰一人嬉しく思うことはないでしょう。

冷静にご自分の気持ちを考えてください。結婚する、しないは先に決めておくことではなく、自然とそうしたいと思えることです。
何より男性との出会いがある場に出かけ、恋愛を経験したら今の考えは変わるかもしれません。

どんな人生でもいいですが、気持ちに嘘をつく事にならないよう、そこだけは注意してください。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

色んな角度から

という意味で。
あなたは「自分を磨き、自分らしく生きる」ことをしたいと考えているのですね。で、「他人に強制されたくない」という事を書かれていますが、その対抗意識で生きて行こうというのは、危なっかしいなぁと感じるのです。つまり、それは「自分らしさ」がちっとも独立していないからです。ある意味周りから支えてもらっているに過ぎない。
人から言われた時、「そう?じゃあ、誰か良い人がいたら紹介してね」と軽く流しつつ言ってもいいものを、「うるさいなぁ、もう」とはねのけちゃう。もともと「軽く考え」ていたはずが、「一生お一人様でいてやる!」に変化してしまうのですから。
まぁ、「人生を自分自身のために使いたい」というテーマの時期なのでしたら、ぜひ周りとたくさんの衝突をするのがよろしいと思います。そうする事で、角が取れつつ、芯が見えてくる事でしょう。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

変成男子(へんじょうなんし)

妙法蓮華経提婆逹多品第十二に
表題の金言を拝することができます。
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女性の価値が男性の価値と同等になるという意味です。お釈迦様の当時、男性は、女性は劣っていると考え、女性自身もそう思っていました。それが当たり前の時代、社会に向かってお釈迦様は「人間の価値に男女の区別はない」と仰ったわけですから世間はびっくりしたんですね。
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あなたに考えていただきたい。
女としての価値ではなく、もっと根本の、人間としての価値。
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今、何に感心があり何を考えているか。
人間の価値はそこで決まることを。
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妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五
「衆人愛敬(しゅうにんあいきょう)」
女の子を生みたいと願えば衆人愛敬の女性となる、と説かれているように
女性は周りから愛される女性になることが大切なんだと。
先程申し上げたように人間としての価値が高まれば自ずと衆人愛敬となります。
人間の価値を高めいればまた良縁にも恵まれましょう。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

皆様ご回答をどうもありがとうございました。

私は色々な人の意見に気を取られすぎて、本当に自分がどのように日々を過ごしたいのかを見失っていたのかもしれません。
そして自分の今の生き方に自身がないから、他人の生き方に嫉妬してムキになっていたようです。

まだまだ嫉妬の感情に思わず振り回されがちになったりしますが、自分に噓をつかない。私自身が私らしく生きられるように、人生の修行をして行きたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ