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今の自分が優しさをもらっていいのか

回答数回答 3
有り難し有り難し 16

今までの私の過ちのご相談をさせていただきました。そんな私ですが、主人もちろんですが、周りの何も知らない人達が本当に私に優しく良くしてくれます。それが苦しいです…過去の私のした事を知ったら許してもらえないだろうと。
今の職場の人達なのですが、あまり笑わなくなった私を気遣ってくれます。仕事は適当にこなしなよ!とアドバイスくれたり、社長の奥様も要望があれば遠慮なくね!とメールくれたり、社長も息抜きしながら働けよと言ってくれます。それが申し訳ないと思い、普通にしなきゃと思うのですが、自分のした事を考えると自分で許せなくて周りの人に申し訳ないと思ってしまうのです。
他の人の何気ない話を聞いては何で私は道を踏み外してしまったのだろう…とみんなをうらやましく思い落ち込んで職場を暗くしてしまいそうです。普通に…普通に…が出来ずにいます。
私はいつまでたっても自己中なのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

たこ(他己)

他己という言葉があります。
「たこ」さんだけに。あなたは「他己」に苦しめられているのです。
「他己」とは、他を想う己の中の働き。つまり他人さまを想う自分の中の思いです。
他者と言ったって、そこに存在していても自分の中で意識した時だけしか現れません。
大通りを歩いてそこに人がうじゃうじゃいた時、他人の一人一人を認識できませんでしょう。
誰かの一人一人を意識するのが私たちの働きです。
あなたがあなたの中に現われる不倫相手やご主人や会社の社長や同僚、家族、知人。
それが「あなたの中の他者意識」=他己なのです。
あなたが相手にしているのは、実物ではない。
あの人はきっとこう思っているだろう、ああ、私は何故こんなことをしてしまったのだ、という自己意識でしょう?その自己意識がすべて問題の根源です。
他をあれこれ思う自己意識で苦しんでいる。
自分をあれこれ責める自己意識で苦しんでいる。
そのおのれの意識を見つめて、自分が自分の思いに苦しんでいることを見抜く他ありません。
あなたが相手にしているのはあなたの思いでしかない。
あなたが相手にしているのは自分の中の「他人さま」意識でしかない。
いまだ本当のご主人に出会っていない。
後ろめたい気持ちが先立って子供たちにも向き合っていない。
全部自分の中でやっている。
「他己」に振り回されているのです。
しっかりせんかいこのタコ!と言いたいところですが、またしてもぐずぐずいいそうですから止めておきます。
この回答を受けた後に私に対してもアレコレ思い、自責する。それがイカンと言ってるのですから、それをやめることです。愚痴をこぼすのは反省ではありません。自分を責めるのも反省ではありません。
しっかり子育てとご主人に尽くすこと。それが誠意です。
自分が不倫という非(火)を起こしていながら、まだ悲劇の「ヒロインぶる」のはおカド違い。
無駄に自分を責めて無益な事をするのも、もう今日限りでやめにしてください。以上を踏まえて本人様たちだけを相手にすれば素直にやさしさを受け止めるでしょう。罪は罪ですが、もう終わったことです。責められることが起こったらそこで素直に受け止めればいい。今はもう誰も責めていない。だったら、今を素直に受け止めるのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

唯仏当承知

唯、まさに仏のみ承知す

いっそバツを受けた方がすっきりします。
しかし誰にも言う必要はありません。
仏様だけがすべてご存知。でも仏様は誰に対しても絶対にバチは当てません。
あなたが後悔しているならばその罪滅ぼしをすればいいのです。
正しく生きる、明るく生きる。それが辛いというならそれこそが罪の償いになるはずです。
今は素直に優しさを受け入れましょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

普通にしようとするのではない

そのままでいいのです。何かしようとするからうまくいかない。思いを優先し、自分を責めることも、何かをしようとすること。新しいことをしてどうにかならないものかと考えるのではなく、
目の前に居る人を大切にしていけばいいのでしょう。優しくされたら感謝をすればいいだけ。旦那さまやお子さんが目の前にいれば、その家族にたくさんの愛を注げばいいのです。他に何にもする必要ないでしょう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

四次元様、ありがとうございます。
正しく生きる。明るく生きる。
私は
正しく生きたい。
明るく生きたいです。
素直に受け入れたいです。

丹下様
後ろめたさから子供と主人に向き合えていないのも事実です。おっしゃる通り見えているのでしょうか…目の前の人をしっかり見て優しさを素直に受け取ります。
このタコ!
久しぶりに心がほっこりしました。変ですね…枯れたと思っていた涙も出ました。
春にはご縁があれば子供が埼玉です。
ずっと死にたい消えたいと逃げ出したかった私も少し変われたらお寺に行かせていただきたいと望みが出てきました。

邦元様
そのまま感謝する、素直に受け取る、家族に愛を注ぐ…見失っていました。
ありがとうございます。

皆様からいただいたもの。
何度も読み返していきます。
ありがとうございます。

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