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自分を好きになりたいです

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有り難し有り難し 24

私はとても臆病者で、他人からの目線や評価を常に気にしてしまいます。長文になりますがお付き合いいただけると嬉しいです。

私は他人からの否定的な意見が怖いばかりに、自分で予め自分の意見への反対意見を予想して身構えておいてしまう癖がついてしまいました。
何故か必死に自分の意見の突っ込みどころをわざわざ探し、自分で否定し続けてしまうのです。
言わば頭の中にもう一人の私がいて、常に脳内で討論している状況です。
思考することは大切だと思うのですが、不必要に自分の意見をズタボロにしてしまうため自分の意見にますます自信が無くなってしまいます。

また、私は挑戦したいことがあっても、自分の頭の中でそれらしい言い訳ばかり並べ立て諦めてしまいます。例えば入ってみたい団体があるのに、「もうその場所では人間関係が出来上がっていて、新しく入っても馴染めないだろうから」「私の様な凡人がやっていける世界ではないから」…などと考え、最終的に「こんな風にあれこれ言い訳を考えている時点で自分はダメだ」と結論付けて、何もできないまま終わってしまうのです。自覚しているなら行動しろよと自分でも思うのですが…自分に発破をかけようとしても、なかなか上手くいきません。

このような話を身近な人間にすると、「そんな疲れる生き方やめればいのに」と言われますし、自分自身「よくない、やめろ」と常に言い聞かせています。一番やめたいと思っているのは自分なのです。このような思考回路を持って生きているのは疲れたのです。

私は自分に自身が無く、自分のことが嫌いだから自分の意見を否定してしまうのでしょう。
母にはよく「生きるのに必死になっている。ありのままの自分を受け入れて」と言われます。それでも私は「自分は不出来な人間で、努力すればきっともっとよりよい人間になれて、いつか自分を好きになれるはずだ」と思ってしまうのです。

成功体験を経験することで自分に自信がつくのだとよく聞くため小さなことから挑戦していってはいます。しかし前述の言い訳癖もあり、本当に微々たる前進でしかできていません。

こんな私が自分を認め、好きになるためにはどうすればいいのでしょうか。そもそもそんな日が来るのでしょうか。

ため込んでいる思いを打ち込んでいたら長文になってしまいました。面倒な質問で申し訳ありません。
どうかアドバイスをお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

この私を生きる!と決めてみる。

拝読させていただきました。よくわかりますよ、そのお気持ち。自分の意見を否定されるのって怖いですよね。なんか自分の人格そのものを否定されるような気持ちになりますよね。
でもそこがたぶん思い違いをしているところなんだと思います。自分の意見は、「そのとき自分が思っている意見」であって、それは自分自身とは違うのだと思います。自分の考えは変化しますよね?新しい情報が入ってくれば、それがもとになって変わるかもしれませんし、経験を積んでいけば考え方も変化していきます。それが自然なことです。あたかも、しっかりと自分の意見を持っていることが素晴らしいことのように思われますが、私はそんなこともないように思います。「こういうときはこうするべきー!」というような考え方を持って、そんな自分に自信を持つよりも、むしろそんなもの持たないほうが、軽やかで生きやすいですし、周りからも好かれるように思いますよ。

依り所にするのは、「自分の持ち物」ではなく「自分自身」です。自分の考えとか意見とか肩書きとか評価といったものは、持ち物だも思います。自分自身とは、それ以前のものです。母親が自分の子供を無条件で愛するように、存在そのものに価値がある。アミさんは、アミさん以外としては生きられません。アミさんは、アミさんの命しかいきられない。「自分のこの命を生きる!」ととりあえず決め込むと、だんだんと生きる方向性が見えてくるように思いますよ。(^^)
回答になってないかもしれませんが、参考まで。

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若輩者ですが、宜しくお願い致します。
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頭の中から目の前に。。

アミさん おはようございます。

他者の目を気にして、自分の思いとは違う反対の意見が頭の中を占めてしまう。
だけど、そのことで臆病や慎重さや不安が増えて、一歩が踏み出せない。
そんな風に私は感じました。

私のお寺の宗旨は真宗(浄土真宗)といいます。
自分ひとりじゃ行き詰まりそうな事でも仏の教えを活かすことで、自分の生きる道を拡げる教えです。

教えと言っても難しいものではなく、
それって事実なのかな?
それって本当の気持ちなのかな? と確認する。
それに尽きます。

こんな立場から、アミ様の気持ちのこもった質問文、じっくり拝見させていただきました。

アミ様がしたいことの本当の理由とは「他人からの評価を得たいから」ではない気がします。
でも、「自分がやりたい」という気持ちを育て続けることが不安で心配だから反対意見を考えてしまう。
僕にはそのように感じました。

ネットの反応など顔の見えない「他人」が実際には現実世界のどこにいるか確認することは大事です。
アミ様が気にしている「他人」さんが、この先もアミ様に寄り添って人生の支えになるような人ならば、評価を下げない慎重な姿勢は大切にすべきです。

でも、相手を特定できない、目の前にいない人を相手にするのは難しいです。不安が生じるのは当たり前です。

質問文を拝見して、アミ様に必要なのは、反対意見をたくさん考えることより、一つ一つの反対意見をもう少し丁寧に分析してみませんか。
特定できないならそれは「他人」じゃなく「妄想」だと割り切る勇気をもつ。
得体の知れないものに必要以上に振り回される必要はないです。

特定できる他人のことが気になるのであれば「その人の声に耳を傾ける」勇気をもつ。
耳を傾けることができれば、その人が本当はどんな気持ちで反対意見をいうのかを知る手がかりにもなります。アミ様を案じて反対意見を言っていたのか、他人さん自身の問題や思考のクセが反映されての反対意見なのかわかれば気にすべきかどうかの基準も分かりやすくなります。

回答、長くなってすいません。
反対意見を考えることは決して悪いことじゃないです。
頭の中のせっかくの反対意見、もう一歩踏み込んで相手や世間を知る智恵に反映できれば幸いです。

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質問者からのお礼

長い時間を経てのお返事申し訳ありません。

質問をさせていただいてから3年強、まだまだ自分を好きになれたとは言えない状態ですが、頭の中での自分同士の喧嘩は減ってきています。
まだ完全に反対してくる頭の中の誰かの声が聞こえなくなった、というわけではないのですが、「それでも自分はやりたいんだ」という考え方が(時々とはいえ)できるようになったのは自分の中では大きな一歩だと思いたいです。
そう思えるようになったのは、皆様の回答が優しく背中を支えてくださったおかげです。本当にありがとうございます。

まだまだ自分を嫌いだと思うことも、自分でいることをやめたいと思うことも多いですが、いつかは自分を好きになれるように、共存していくことが出来るように頑張っていきたいです。

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