この先の事
何度もご回答を頂きいつも支えて頂いています。また宜しくお願い致します。主人は65才で昨年8月末に倒れまして右半分がだめで高次機能障害があります。今は回復期の病院を退院して老健に3月末からいます。リハビリもまだまだやっていきます。会話は普通にできますがやはり細かい記憶がダメです。元気な時に聞いておきたかった事、わからない事など今後悔してもしようがないのですが考えると涙があふれます。
もちろん生きているだけでも有り難く感謝の気持ちで一杯なのですが、ここでも言って頂いたようにポジティブにあきらめる事ができず
心の中は自責の念でいつも一杯です。
もう昔のように一緒に出掛けたり会話ができないと思うとつらいです。そしてやはり老健は周りがお年寄りなのでイヤだよと言ったり、前もあったのですが暴言が出たりして主人も
つらい分私にあたるのだと思います。元気な時は穏やかな人だったので私もショックでした。
最近は月一回くればいいよと言われています。
老健は病院と違い皆さんあまり会いにこないみたいです。
まだ先の事はわかりませんがいつも同じ事ばかり聞いていますが主人にどのように接していけばいいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今と向き合う
拝読いたしました。
私のような若僧が言うのもなんですが。
65才。
まだまだこれからが楽しい時なのに。
人生、思い通りに事が運びませんね。
確かに、思い通りに行く場合もあります。
世界中に数多くの成功者がいますし、そんな極端でなくとも、ささやかな希望が叶う時だってあります。
しかしこれも、老病死が相手となると、もう到底敵いません。
ハミさんは悔いておられます。
何が一番悔しいですか?
明確に答えられますか?
それともたくさんありすぎて答えられない。
あの時、あの時、あの時・・・
もう戻らないし、ある角度から見れば罪になるでしょう。
でも、ハミさんは何も悪くない。
善悪で考えるなら、ご主人だって悪いのです。
ハミさんをひとり泣かせて。
もう、置いてけぼりです。
「老健」なんて名前や内情なんか知りたくもなかったでしょう。
あなたも私も、もう死んでしまったけど大好きだったおじいちゃんも、死亡率100%です。
人間全員に死や苦がつきまといます。
苦とは思い通りにいかないという意味です。
意のままにならない現実を覆そうと頑張ってみても、どうにもならないので余計に苦しみが増します。
病気で倒れられたご主人も、健康なご主人も、同じ人間です。
目の前にある、あなたの大切な人の姿を受け止めて下さい。
幸も不幸も決めるのはハミさんご自身です。
「あきらめきれない」「自責の念」
それは自然な感情です。
この感情はなにも悪いばかりではないのですよ。
それがご主人を支えているのですから。
頑張らず、自然な気持ちでいることができれば。
それが、幸せというものではないでしょうか。
質問者からのお礼
あたたかいご回答有難うございます。
読むたびに涙があふれて止まりません。
私もこれからも何とか支えていけるようにと思っていますが
先の事は想像がまだつきません。
また宜しくお願い致します。