灌仏会(花祭り)釈迦牟尼の誕生日に関する質問
灌仏会(花祭り)釈迦牟尼の誕生日に関する質問があります。
灌仏会(花祭り)釈迦牟尼の誕生日に於いて「天上天下唯我独尊」などの誕生偈を唱える宗派はありますでしょうか?
また、その唱える誕生偈の文面とその引用のもととなったお経は何でしょうか?
ご解説お願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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曹洞宗で唱える灌仏偈
曹洞宗の場合、法要等では誕生偈は唱えません。誕生偈については、wikidharmaに詳しい解説がありました。
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%92
曹洞宗の場合、4月8日に釈迦降誕会の諷経を行う場合、灌仏偈(かんぶつのげ)という偈文を唱えます。浴仏偈(よくぶつのげ)とも言います
我今灌沐諸如来(がこんかんもくしょにょらい)
浄智荘厳功徳聚(じょうちしょうごんくどくじゅ)
五濁衆生令離垢(ごじょくしゅじょうりょうりく)
同証如来浄法身(どうしょうにょらいじょうほっしん)
我れ今、諸如来の、浄智もて荘厳せる功徳聚なるを灌沐す。
五濁の衆生をして垢を離れしめ、同じく如来の浄法身を証せんことを。
参照 高崎直道著『日常唱える偈文の解説』大本山総持寺出版局
高崎先生は、無著道忠著『禅林象器箋』の記述を引用し、この偈文の出典は『仏説浴像功徳経』であると説明してます。なお、『仏説浴像功徳経』では、二句目は「浄智功徳荘厳聚」となっており、「相伝の間に訛ったもの」だそうです。
尚、曹洞宗で読まれる灌仏偈には別バージョンがあるそうです。
稽首大聖薄伽梵(けいしゅだいしょうばぎゃもん)
天上天下両足尊(てんじょうてんげりょうそくそん)
我等今以功徳水(がとうこんいくどくすい)
灌浴如来浄法身(かんよくにょらいじょうほっしん)
高崎先生によれば、出典は不明ですが、『瑩山清規』に初めて記されているそうです。
「天上天下唯我独尊」の出典と解釈の誤解
プンダリーカ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
拙寺における降誕会法要では、誕生偈はお唱え致しませんが、「天上天下唯我独尊」の出典に関しましては、以前に拙生も調べようとしたことがあり、その際に参照させて頂きました下記のブログの内容が参考となるのではないだろうかと存じます。
「釈迦が生まれたとき」教秀ノートより
http://1111hm.blogspot.jp/2009/10/blog-post_8494.html
その中で、「天上天下唯我独尊」の解釈の誤解に関しても言及されておられますが、その関連としまして・・拙生は、チベット仏教とのご仏縁もございまして、今年の降誕会では、タプケー・トゥクジェ(教主釈迦牟尼仏十二相礼賛偈)を日常勤行に加えてお唱えをさせて頂きました。
全ては長くなりますので、最初の二偈のみをここに抜粋させて頂きます。
最初の二偈・・
善巧方便大悲にて釈迦の種族に生まれ給い、魔軍を降し給えるは、他に比類なき偉力なり。恰も山の如くなる金色輝く御体の、かくなる釈迦の王にこそ、我らは頂礼すべきなれ。
いにしえの世に彼の御方、菩提心をば生起して、過去世に福智二資糧を集積円満し給うなり。今世に生まれて広大なる御作事を示し、衆生をば救い給える御身こそ、我らが礼賛すべきなれ。
・・
この中で、「いにしえの世に彼の御方、菩提心をば生起して、過去世に福智二資糧を集積円満し給うなり。」とございますが、実は、釈尊は、 三阿僧祇劫という永きにわたる如来・仏となるために必要な修行を終えられて、いよいよ如来・仏となることが決定した上で、ご出胎なさられたと考えられており、そのため、「天上天下唯我独尊」とは、この娑婆世界の広大な三千大千世界における迷い苦しみにある衆生を救うために現れられた如来・仏として、尊い悟りを得ることになる者であると、産まれたのと同時に宣言なさられたと考えるのが妥当となるのではないだろうかと存じております。
ですので、決してよく誤解されて言われてしまう傲慢、高慢な意味合いとしてではないものと理解することが大切であるかと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ご解説ありがとうございます。
灌仏会(花祭り)に関してずっと気になってことでした。
「天上天下唯我独尊」は有名なので
それを唱えているのかなと思っていたのですが、
仏説浴像功徳経から出展された灌仏偈、教主釈迦牟尼仏十二相礼賛偈を唱えたりするのですね。
教えてくださった書物を読んでみようと思います。