返信が毎回遅い友人について
ラインが既読になっているのに、返信が毎回4〜5日後、時には1週間後にくる友人がいます。
返信がくるときは、必ず頭に 返信遅れてごめん と打ってきます。
ごめんと毎回言ってくるにも関わらず返信が毎度遅いので悪くもなんとも思ってないんだろうな、、と不快にいつも思ってしまいます。
こういう人なんだからしょうがないと諦めて付き合うべきでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私は中学・高校時代に、遠くに引っ越した友人と文通をしていた事がありました。月に一度程度の交換でした。
昔は月に一度の連絡で別に不便も感じなかったのにねぇ。逆にそのゆっくりがワクワクでした。今はすぐ返事が欲しくなっちゃう。来ないと不快を感じるほどに。せっかちな世の中になりましたねぇ。
文章を考えたり書いたりするのが苦手な方もいます。そんなゆっくりが楽しめるようになると良いですね。
即答するにはエネルギーが必要
即答・即返事するには、エネルギーが必要です。
日々の生活の中では、色々と考えなきゃならないことが他にあります。
即答するためには、それらをさしおいて返事したくなるようなエネルギーが必要です。
即レスしたくなるほど興味深い内容であったり、言いたいことが次から次にあふれてくる状況であるなら別でしょうけど。
たとえば、私は、あまり行きたくないけど行った方がよいような会合に誘われたとき、即返事できなくなります。
その友人は、あなたに即回答はしたくない(ちょっとめんどくさい)と思っている、しかし回答しないのも悪いなという感じで、遅い回答になる。
相手にとってあなたは、その程度の友人なのです。
あなたは、上から目線で「回答が遅い奴」と、相手が悪いかのように思うのではなく、
「私が相手にめんどくさい回答を求めているのかもしれない」と、謙虚になった方がよいかもしれません。
それができない場合、あなたには、ほんのわずかながらストーカー的な要素があるかもしれません。
みんなそれぞれ自分のメールルールがある
私はあまりラインやメールが得意ではありません。
指が太いので返信も時間がかかります。
時間をかけて返信したのに会話を重ねてくる人には「だったら電話せいや」とイライラ小宇宙が高まります。
メール派の人にとってはそれが当たり前でもそうでない人たちにとっては電話の方がスムーズだと感じる人もいます。
どちらもお互い自分ルールの押し付け合いです。
昭和初期世代の人にとってはメール文化はまだまだ浸透しません。
そういう方々に「なんでメールをしないのか」「返信おそい」といってもそれは自己中心的なモノの見方というものです。
仏教とは、人間のこの「自己中心的なものの見方」というものを改めるべきことを説いています。
自己中心的なものの見方を正してくれる人というものは少ないものです。
世間の人はみんな自己中心的な人が嫌いだからです。
今回のことをきっかけに相手のことを変えようとするのではなく、自身の自分を軸としたものの見方というものが無いかどうかの点検をしてみましょう。
この質問・この問題の根底にあるのは本当は「そこ」なのであろうと思います。