生前葬をしてみたい
おはようございます。
先程、子供の頃の夢を見ました。「人生で一番大切なものは?」という、非常に面白い言い合いをしていました。夢でなく、実際にそういった会話をしたのを覚えています。
「命!」と答えると「じゃあ、お金いらないね」
「金!」と答えると「じゃあ、命いらないね」
子供らしい、何とも言えない惨たらしい言葉遊びです。
そこで私は考えました。考えた結果、「『どちらが』と選べるのは、命あっての物種だ。問いかける対象が考える以上、命ありきの物だ」となり、「では二番目はお金か?」と自問しました。
しかしながら、お金は三番目に落とすことにしたのです。
私は今、友人にお金を借りています。また、別の友人にお金を貸しています。それぞれ、結構な額です。なぜ貸借金したか、と問われれば、信頼だとか未来だとか、キレイ事が浮かんでは消えています。
そこで。こう結論付けました。「二番目は『人との繋がり』だ」と。
例えば私を頼って「10万貸してくれ」と言われれば、その理由によっては3万程度、場合によっては50万まで出せる気持ちがあります。また、内臓疾患を友人が患ったら、適合すれば喜んで肺の1つでも差し出します。
人との繋がりが強ければ強いほど、お金の問題も命の問題も軽減されると考えました。
私は音楽の好きな人のコミュニティに入っています。同時に、少々マニアックなコミュニティにも入っています。コミュニティ同士に繋がりはありません。
そこで、私は友人の輪を広げ、構築したいと考えました。私と出会った人々全員にお礼が言いたい。こんなどうしようもない奴と、僅かでも付き合ってくれてありがとう、と伝えたい。
実に多くの新興宗教家が理想とする世界観を、私も考えてしまいました。が、多神教であり信仰の自由もある日本であるが故に、新興宗教と言うだけで怪しいと感じてしまう人が多いようです。
そこで、既存の宗教に頼ることにしました。知り合い同士も、知らない者同士も、まとめて皆仲良くなってもらいたいし、お礼を言いたい。それには、生前葬が一番だと。
面白そう、やってる人少なそう、という考えも、もちろんありますが、それ以上に望むものがあります。
生前葬は、このようなきっかけで行って大丈夫なのでしょうか?また、自分の葬儀に参列することについてのお考えをいただきたいと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
葬儀とは
葬儀とは仏弟子となり、仏道、悟りへと導く大切な式です。あなたがその友人達の前で仏弟子となりたい。というものなら、生前葬、つまり、得度、生前戒名をいただくというのもいい事だと思います。
しかし、あなたのお話から、考えるとお別れ会かな?と感じました。葬儀と言うより、パーティー的要素が強いように感じます。
僧侶抜きで、お別れ会を企画して見たらどうでしょうか。もちろん、僧侶の立場からして見たら、生きているうちに、仏弟子となり、仏道を歩んでいただきたいと思います^ ^
良いと思います
拝読させて頂きました。
邦元 師のおっしゃるとおり葬儀とは仏様の弟子となり信心を持って仏様のお導きを受けて旅立っていくことです。
ですからあなたが望むようなことであるならば二段階でなさってみてはいかがでしょうか。ウチのお檀家さんでもなさった方はおられます。
先ずは仏様のお弟子になり信仰を持たれる式やお勤めをお寺様でなさって頂いて、その後どこか会食できるところを用意してあなたの親しい方々と共にパーティー形式で皆さんと親交を深めあい楽しい時を共に過ごすのが良いのではないでしょうか。
ウチのお寺では実際にしたことがありますから一度菩提寺さんにご相談なさってみて下さいね。会食の会場はあなたや親しい方々が気軽に楽しく利用できるところが良いかと思います。
あなたが皆さんとのご縁を大切に深めてそして信仰を深めて心安らかに生き抜いて頂きます様心よりお祈り申し上げます。
再度拝読させて頂きました。
得度、授戒は難しくはありません。
宗派にもよりますが、一般の方であるならばたぶん1日かからないと思います。ましてや髪の毛を落とすことはないと思います。お布施についてもお寺様にもよりますがそれ程法外ではないかと思います。菩提寺さんにもその件は相談なさってみて下さい。
また親しい方々を集めることもそれぞれやり方もあるでしょうからいろいろな方法を調べてみて自分がご納得なさる方法にてなさってみて下さいね。恐らくはイベント企画なさるようなプロの業者もあるでしょうからね。
あなたが皆さんとのご縁を深めていかれ共に心から楽となる時をお過ごしなさって頂きます様にとお祈りさせて頂きます。
仏門に入る方法について
在家の方が生前、仏門に入る為には、既成の宗派では、生前葬ではなく、得度と授戒会の正式な方法があります。近くのお寺さんに、相談してみて下さい。
(授戒:仏門に入るものに戒律を授けること。授戒させること。)
(得度:剃髪して仏門に入ること。出家) 何れも広辞苑出典。
私は、サラリーマンでしたが、第二の人生を曹洞宗の僧侶として歩んでいます。僧侶として登録するには、寺で得度式を挙げ、写真を添付して申請する必要があります。白装束になり、剃髪され、仏前で懺悔文を唱え、戒律を良く保つと宣誓し、安名(戒名に相当)が授けられました。
棺桶に入った白装束の故人、剃髪の儀式、懺悔文の追暗唱。葬式の儀式そのものであり、あの世への、旅立ちと覚悟しました。尚、得度式を挙げても、僧侶ではなく、沙弥(日本で、剃髪しても妻子があり在家の生活をする者)として歩む道もあります。また、明治になって、太政官布告で(今より僧侶の肉食、妻帯、畜髪、自分勝手なすべし)と出されており、剃髪は必要ないと思われます。
現在のお葬式の作法は、曹洞宗が編み出したものであるといわれています。中国の弔い方法と得度式と授戒会を簡略化し、組み上げられたものです。導師が、故人を葬式の儀式により弔い、授戒させ戒名と血脈を授け、仏弟子としてあの世にお導きをしてあげるものです。僧侶ではないので、沙弥との呼称になります。尚、浄土真宗では、諱の戒名が(法名)となります。 合掌
質問者からのお礼
邦元 様
冠を拝し
婚姻関係を結び
葬儀をし
祀られる
どの宗派どころか、どの宗教でもこの節目はあると思いますが、
仏教での「葬儀」がそのような意味合いだとは知りませんでした。
自殺を考えたことはありますが、もちろん途中までしか実行に移しませんでした。
辞世の句を考えていた時、「あ、戒名……本名なのも味気ないな」と思い、
実際に相場を見て、その値段の高さに手を出せなかったことがあります。
戒名がない→辞世の句が完成しない→お金、何とかしなきゃ
ある意味、仏教に「死ぬのはちょっとばかし早いんじゃないか?」と
お叱りを受けていたような気が、今ではします。
あと、お客様と頻繁に会う仕事である関係で、得度は難しいです。
ドラゴンボールのボールみたいな髪型は、商談そっちのけになりそうですし。
剃髪を伴わない、「心だけ得度」という制度があれば良いのですが。
パーティの企画、ちょっと良いな、と思いました。
現実的だし、お金を皆で出し合う、というのも良いですし。
ですが。
方や、ジャンルの好みはあれど基本的にみんな大好きな音楽のコミュニティ。
方や、マニアックな、二次元系のコミュニティ。
何か特別性がなければ交流は難しいと考えております。
ありがとうございます。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
邦元様にも宛てました通り、得度、授戒は難しいです。
現実として、会社員として日本経済を動かしている、
ましてその事業内容は地域に根ざしたものなので、それなりの誇りを持っていますし、
外見は特に気を使います。
得度をすっ飛ばして戒壇に行く、という変化球のようなことも、
パワースポット巡りという意味合いで良さそうですね。
とりあえずは、せっかくのインターネットなので、生前葬についての知識をもう少し深め、
近所のお寺で聞いてみようと思います。
が、タイトルの「良いと思います」も、勿論大事な大事な意見としております。
ありがとうございます。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
再返信ありがとうございます。
なるほど、信仰の自由である日本、天皇は最高神の子孫という古事記や日本書紀の記述(神道)、
そして、六法にある一法「憲法」で「基本的人権の尊重」を重ねてみると、
髪型1つを取っても、人権で守られていると解釈できますし、
仏門に入るために得度カットをするのは法律に違反しているとも取れますね、
私の頭はどうやら、生前葬で凝り固まっているようです。
両者を交流させるイベントは、生前葬しか思い付きませんから。
同時に、「唯一、聖戦のない国際宗教」という側面を持つ仏教に興味を持ってもらうのも、
理想と言えば理想です。仏教の派生宗では聖戦がありそうですが。
これはきっとあれですね。「教えを説く」のではなく「気付かせる」宗教だからでしょうね。
大学が高野山だったものですから、「ハエが止まってるよ」と言って頭をはたく様子が、
20年以上経った今でも思い出せます。
それが嫌で、得度前に剃毛する同級生も多かったですね。
私は社会人です。
はたらかなければなりません。
「働く」ではなく「傍楽」。
皆に楽しんでもらう、皆に楽をしてもらう。
それが使命だと考えております。
しかし、私の思い付きである「心だけ得度」制度、実在するとは。
清水道心 様
ありがとうございます。
非常に興味深いです。
読めば読むほど納得し、読めば読むほど言葉にするのが難しいと感じました。
仏門に触れる方法は多々あるけれど、
仏門に入る方法は生前の得度、あるいは死後の葬儀。
でしょうか。
ドラマなどで刑事、警察が遺体を「ホトケさん」と呼びますしね。
これまでに生前葬をした人々、というのは、
確かに有名人(10名に満たないと思われますが)を除いて、
脱北者などのような「生死の安否が懸念されたままの人」のような気がします。
ジョセフ・ジョースターとか。
死去から仏門に入る儀式と、再会に涙する儀式。
やはり、同時進行できる生前葬は魅力です。
魅力だからこそ、実行するにしても、もう少しちゃんと考えたいと思いました。
ありがとうございます。