努力をしても報われず、友人に嫉妬する
日々努力すること、そして結果に結び付かないことに疲労と焦り、嫉妬心を抱くようになりました。
最近Twitterから、趣味で小説を投稿しています。できる限り毎日書いて、投稿するよう努力をしています。
投稿するのだから、やはり誰かに認めてもらいたい、誰かに見て欲しいという気持ちがあり……。
けれど結果に結び付かず、自分がまるで空気のような存在に思える時があります。
最近、友人に嫉妬心を抱くようになりました。
相手は小説ではなく絵ですが、誰かに認めてもらえ、そして無邪気にそれを私に話す姿を見ていると、「私の小説なんて、書いても意味がないのでは」と思うようになりました。
それは今も続いており、日に日に強くなり、友人に対して強い嫌悪感を抱くようになりました。
「頑張って書いたところで、毎日書いたところで、誰も見てくれないのでは?」という不安な気持ちでいっぱいになります。
もうこんな嫉妬心に振り回される毎日が嫌で嫌で仕方がありません。
ですが、誰かに認めてもらいたいという気持ちを捨て去ることも出来ません。
全部が苦しいです。
どうしたら良いか分からず、毎日泣いています……。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悪魔に魂うりゃイイんですよ。(笑)
売れたけりゃ、悪魔に魂売って世間に迎合すればいいのです。(笑)💀
ちょっと召喚しましょう。
👿
けっけけけ。
オメーは売れてーんだろが。人から認められたい、賛同されたい、賞賛されたい。
だったら話は簡単だ。
あたりさわりのない柔らかな言葉を用いて、ネコニャンとかワンコロのKUSOカワイイイラストや写真を駆使してデコデコキラキラの人が好むようなことをガンガン取り入れりゃいいだけじゃねぇか。そうすりゃ、そっちに飛びつく人間は増えるだろうになぁ。だが、それはオマエの作品ではなく、そのデコデコ・キラキラに盛った、世間に媚びたものの方だがな…!
世間の人気取りの奴らをみるがイイ…!ちゃんとツボおさえとるがな!けっけっけ!
👿
はい。
悪魔は去りました。
問題は誰から評価されるか、ではないでしょうか。
仏教業界では世間に評価をされることは割と難しいことではありません。
嘘くさい坊さんやってりゃそれでそこそろ人は信じるものでしょう。
私はそういう嘘くさい坊さんが嫌いなのであえて坊さん坊さんしたキャラ臭い僧侶さんたちとはあまり関わらんのです。
肉屋は肉を売る。
肉好きの人が納得する肉を売る。
スイーツ店はスイーツを売る。
スイーツ好き人間が納得するスイーツというものがあるでしょう。
ただ甘い。ただコテコテクリームなら誰にでも作れる。
妥協しない。
本当にツボを心得た人間がやるべきをやる。
あなたはもっと自分の業界の「本当に愛されるもの」を熟読・吟味された方が良いのではないでしょうか。
何時のどこの誰に何をお届けしたいのでしょうか。
そこを明確にされてみてはいかがでしょうか。
お経は時空、歴史を超えて万人を救える内容を持っています。
ロックの名曲、クラシックの名曲、名画、不朽の名作は何ゆえにそういうものを含んでいるのでしょうか。
本当の意味で悪魔に魂を売っちゃいないのでしょう。
一発屋はたまたま当たるだけ。
それよりも自分自身が本当に納得がいく作品を作り上げるべきではないでしょうか。
人のことを追いかけている内は欲の塊です。
欲も自己も投げ捨ててただ作品のためのに。ただ作品の為に。
「ただ仏法の為に。」道元禅師
中毒と趣味は別モン
趣味に自分の存在価値を賭けるようでは、もう趣味として破綻したますぜ。
オンゲーで勝っても負けてもイライラしてる人たちがいっぱいいる。なぜそうなるか?存在価値を賭けちゃうから。
高効率の攻略法を知っていないと存在価値なし。
良い装備持ってない奴は存在価値なし。
足を引っ張る奴は存在価値なし。
空気読まない奴は存在価値なし。
俺の都合よく動かない奴は存在価値なし。
そんな目で他人を見るから、自分自身に返ってくる。俺は存在価値はどうなのか?
だから常にプレッシャーで心に余裕が無い。そりゃもう、遊びじゃない。
何年か前に東日本大震災の慰霊法要&チャリティーライブのお手伝いに行きました。そこで法要して、後は子供たちと隠れんぼとか鬼ごっことか火遊びして遊びました(←オイッ!)。
5人くらいのグループで2時間くらい遊んだかなぁ。んで、さようならする前にちょっと寂しくなったから来年も会えるかなと思って話してみたんです。小学校入るか入らないかくらいの女の子と。
私「どこから来たの?」
女子「◯◯市」
私「ふーんずいぶん遠い都会から来たんだね。お名前は?」
女子「◯◯!」
私「あの子達は?」
女子「え?………知らなーい」
私「え?普通にすんごい楽しそうに遊んでたけど、友達じゃないの?」
女子「知らない人」
私( ゚д゚)
大人になると名前も覚えてないのは失礼みたいな感じになってきちゃいますけど、本当は本来、何も必要ないんですよね。名前も必要ない、住所も必要ない、主義思想も必要ない、派閥出身も必要ない。本当に何も必要ない。ただそこにあの子がいて、私がいて、ただ遊べばただ楽しいんです。
でも大人になって賢さを手に入れると、「私はこういう状態になったら満足するハズ」なんてお荷物を抱えちゃう。自分で自分に成績評価・存在価値評価の条件を課して縛りプレイしちゃうんですね。
それって、ただの変態ドMプレイであって大正義じゃないんスよ。それで苦しむ自分が嬉しいってんなら別ですけど、あなたそんな趣味なんですかい?違うでしょうに。
ベットの下に隠して親友にも見せたくないけど、それでも書かずにいられないほど好きになれないなら、あなたは自分が思っているほど小説を好きじゃないんです。ただイイね!中毒なだけ。
他人の評価に依存しないと楽しくないようなモンは、趣味として不適なんです。
あなたの完全上位互換などいません。
この世に天才など幾らでもいます。それでも嫉妬してしまうのは、自分の能力の完全上位互換に見えて、自分の存在意義が危うく思えるからです。
現在私は大学で研究していますが、十数年年下の天才的な学生が沢山います。でも別に発想力で負ける気はしません。今後もずっと。アインシュアインにさえね。
なぜなら僕の発想は僕だけのもの。あなたの発想は、あなた固有の人生に育まれたものだからです。それは奢りではなく、比べようがない故に平等であるということ。1つの物差しで戦えば優劣が測れるでしょうが、世界はそう単純ではありません。小説などの芸術分野では特にね。
質問者からのお礼
大慈さま。
ご意見、ありがとうございます。
評価を求めるあまり、自分自身の「存在価値」まで賭けてしまっていたようです。
私にとって大切なこと、それは何だったのかを考えいました。
「イイネをたくさんもらって、自分を見て欲しい、自分を知って欲しい」
そういった気持ちに支配され、自分が楽しむことを忘れていました。
「イイネではなく、誰かの記憶に残るような作品を創りたい」
そう思ってSNSから作品を投稿していたのに……。
まだまだ「イイネ」に依存していますが、少しずつ離れられるようにしたいと思います。
本当にありがとうございました。
丹下さま
ご意見ありがとうございます。
「私は何処の誰に作品を届けたいのか」……ずっと考えていました。
「何処の誰でも良い。一文でも一言でも、誰かの記憶に残るような作品を書きたい」
それが私の創作の出発点でした。
「イイネ」に踊らされ、求めて依存して、一番大切なことを忘れていました。
名作はきっと「人の心のどこかに残るような、決して消耗品ではないもの」だと、私なりに思いました。
私は知らず知らず、自分の作品を消耗品のように扱っていたんだと思います。
これからは「イイネ」に惑わされず、初心に戻ろうかと思います。
まだまだ「イイネ」に依存しているので、少しずつ離れられるようにしたいと思います。
中山さま
ご意見ありがとうございました。
正直私は、自分の作品、その存在意義に不信を抱いていました。
評価されないなら、誰も見てくれないなら、意味がない。
いつのまにかそんな風にきめつけ、自分の作品を貶すようになっていました。
未熟ながらも、私の作品は、私のなかで育まれてきたもの。例え拙くても、自分なりに書いてきたものだと、思いました。
この世界に、私より上手く、そして美しく書ける方はたくさんいます。
でも、私にしか書けないものがきっとあるんだと思いました。
まだまだ卑屈ではありますが、少しずつ抜け出せるようにします。
本当にありがとうございました。