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殺したいほど母親が嫌い

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有り難し有り難し 52

私の母は物凄く外面が良いんです。
母の外の顔しか知らない人達は皆、〇〇さんのようなお母さんになりたいなんてほざく程です。

しかし家ではいつも怒り口調、疲れたが口癖、四六時中仕事の愚痴。
それらの相手をするのはいつも私です。
父は知らん顔でいつも20時頃には布団へ逃げ、妹は自室にこもって勉強ばかりしています。
こんな家族、嫌です。
もう疲れました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

感情に打ち克つ。相手をわたくししない。

まずは自分の感情に打ち克つことです。
正直自分自身には白旗上げてください。
カッとなってしまう自分。
相手がだれであれ、まずは自分自身の心をおさめること。
そうでないとお母さんの感情論にも冷静にやりとりすることはできないでしょう。
お母さんから「どうしたのこの子?」と思われるくらい動じない女性になりましょう。
女性として自身の感情的な心に打ち克つことは一生の課題です。
歳を重ねてからキリキリしている女性やヒステリックな女性をお見掛けいたしますと、私は逃げたくなります。私よりも倍近く活きてこられて人生で一体何をやってこられたのでしょう。
(# ゚Д゚)「なんですってー!」  「ひー」( ゚Д゚)💦
自分の感情に振り回されないこと。
これはすべての人間、老若男女だれしもの課題であろうと思います。
感情から自由になる良い方法は「わたくしルール」「ワタクシ意識」を相手に要求しないこと。親子であっても別人他人。尊重しあって、自分の色を出し過ぎずに接することです。
家族というのは究極のワタクシワールドだと思いましょう。
どんな人権発言も乱暴な言葉も罵詈雑言も許されてしまう場所。
それが家庭というある種オソロシアな空間です。
お母さんはお母さんの都合がありますから、相手の都合に乗らないことです。
あなたはあなたでもう成人されているのですご自分で自立心をたくましくして、大人になってください。
今までは家庭の習慣的にお母さんに縛られたり、お母さんの言いなりになったり、お母さんの顔色をうかがってご機嫌取りをしなければならない面もあったと思います。
ですが、大事なのはあなたがあなたの人生を歩むことです。
そして、あなたの一生の離れられない心である「自分の心」を最上にすることです。
最上にするとは、自分自身でも心の成長を願うことです。
このままじゃいけないなぁ、と本気になって治すべき心を治すのです。
自分のルールが先立つことで人は目の前のコトよりも自分の先立てていることを優先する。
覆い通りにならないと腹が立つ。
ならば、その先立てているものを最初から持たなければよいのではないでしょうか。
それが何であるかをよく感じ取ってみてください。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

家事を分担してあげては?

女性にとって、言葉は「使わずにいられないもの」みたいですね。話して何かを解決するというより、「言葉を使う」こと自体が。
なので、愚痴る目的は喋ること自体だ、と先ずは構えてみて下さい。なので、「うん、うん」という相槌と、たまに「大変ね」という共感を示してあげたら、それで受け流して良いと思います。
あと、現時点でどうか分かりませんが、何か家事を分担してあげては如何ですか。ガミガミ言われるよりも、食器洗って綺麗になれば、少しは気分も明るくなるかも知れませんよ。家事は、生活している以上どうしても出てくるものです。それを効率よく、素早く行えるのは、あなたにとってもプラスだと思いますよ。
あと、少し気になるのは「殺したいほど」という、あなたの極端さです。嫌であるにしても、選択肢はもっとあるはず。死んでしまっては、今お母さんが負担しているであろうことも、相当部分あなたに降りかかってくるはず。極端な思考は、選択肢を狭めてしまいます。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

拝読させて頂きました。お母様もあなたも本当に心の余裕がなくなっているのではないでしょうか?
親子ですからなかなか難しい部分もあるとは思います。それでもお互いもう大人として社会人としてしっかりと尊重しながら冷静になり適切な距離を保ちながらこれからお付き合いなさっていかれることが必要です。
どうぞあなたもお母様も落ち着いて冷静に対応なさって下さい。
感情的になってお互い怒りや憎しみをぶつけているということはお互い甘えがあるからですからね。

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個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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