hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

離婚すべきか

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

先日、夫から離婚を切り出されました。結婚当初から私のことが嫌いで、もうこんな生活続けられないと。

去年6月に妊娠が発覚、堕ろす話が彼の口から出ましたが私の中ではその選択肢はなく産むと押し切りました。

彼から借金があることを打ち明けられましたが、稼ぎもあるようだったので私の中では大丈夫だろうと思ってました。

私も自営でしたが稼ぎは良くなかった。彼は私が稼いでいると思っていたようです。私は自分が稼いでると言ったことはありません。ただ、お金がない、稼いでないと言ったら堕ろせとなるのが嫌で、ハッキリと収入は伝えませんでした。

入籍前から同居を始め、私が稼いでないと彼は知りました。彼にとってそれは私が嘘をついていたと感じたようです。彼の態度が変わり、言葉がキツくなり、仕事が終わっても家に帰ってこない毎日。また、結婚をきっかけに私の収入は更に減り。収入がないのを良く思っていない彼には怖くて言えませんでした。

食費、自分にかかるお金はお前が出せと言われ、生活費をもらえず、妊娠中に体がキツくてもパートに行きました。何度か食費を出してとお願いしても、お前そんなに金がないのか、と高圧的な態度で言われるだけで、出してくれることはありませんでした。収入が減ったことはその時に伝えました。

今年に入り、子供が産まれて数ヶ月。
結婚当初から好かれてる感覚が全くなかったので、安心感が欲しくて言葉や態度を求めましたが、その度に不安は増大。

当初から関係がギクシャクし始め、このままではいけないと思いながらも感情をうまくコントロールできず。

離婚を言われた時、離婚はしないと言ったら、子供を育てていけないからだろ、それなら面倒見てくれる男作って出ていけと言われました。

私には経済がありません。
離婚したら子供を育てていけません。働きたくても現状では働きに出れず。実家は遠方で子供を預けれない。

子供には両親がいた方がいい、でも不仲ならいない方がいい。我慢してここにおいてもらって、波風立てなければいい。夫も我慢してて大変だろうけど、自己中心的に思える。

それに、結婚、出産と色んな人がお祝いしてくれたのに、離婚なんて。自分のプライドもあるとは思います。

でも毎日、嫌いと言われた人と顔を合わせる、同じ屋根の下で暮らすのが本当に精神的にキツいです。

もうどうしていいか分からなくなりました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたのご両親はご健在でしょうか?
もしそうであるならご実家に帰った方がいいと思います。子供を預けて仕事ができますから。
もしそれができない時は一人で育てて行くしかありません。保育園を探して働きましょう。
その際は少しでも養育費をくれるようにお願いしましょう。親兄弟や友人にも援助をお願いしましょう。
今は3割の人が離婚しているようです。珍しいことではありません。余計なプライドは捨てて、これからの生活を考えましょう。私の知人も女手ひとつで3人のお子さんを育てました。不可能では無いと思いますよ。
例え子供ができたからとはいえ、元々結婚には無理があったのではないでしょうか。
結婚当時どのような話し合いや約束事があったのか分かりませんし、夫側の言い分も分かりませんが、何れにしてもお互いの愛情や信頼をこれから育んでいけるような状況では無いように思われます。
あなたのご両親や友人にも相談して、新しい道を見つけてくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

大人の条件付けは小さなこと思いましょう。

今は「キライ(# ゚Д゚)」と言ってもちょっと前は「(*´▽`*)好き♡」とか言っていた間柄でしょうに。
なんと根拠のない「キライ」「好き」という気持ちでしょうか。
しかも条件付けでお金ですか。
そんなものでしょうか。
はい。
それでもいいのです。
その程度のものなのです。
そこも通り越してもっと人間人間して本当に進むべき道を見出すことです。
大人になればなるほど人間の恋愛感情など一時的なものであると分かるはずです。
もっと大人な目線から対応しましょう。
ご主人のご実家とあなたのご実家にもお話しすることです。
小さな世界の話にしていればその子もかわいそうな道を歩みます。
ここはポジティブ・プラスに解釈すれば嫌いと思っていることでさえ、一時的でしかないということです。
たった今も彼のことがキライでも好きでもない一瞬があったはずです。
思いかえせば嫌いだ、ムカつく、イヤだということがあるでしょうが、それはくだらない大人の都合。大人の条件付け。長続きしません。せいぜい長続きして60年です。
北朝鮮と韓国も国レベルのケンカもやめようと思えばやめられたのです。
野村監督兄弟も野村サチヨさんの死後、仲直りができるものなのです。
達観なさることです。
もっと夫婦は明かしあうべきです。
仮にご主人に好きな女性ができたと言ってもそれも一時的なこと。
あなたとの間にできた子供に罪はありません。
オトコはプライドの塊ですから、低姿勢に誠実にヨイショヨイショして感謝を示して愛情表現をしていればころりんですがな。(´-ω-`)🚬
多くの男性が金払ってまでキャバクラやスナックやクラブに通うって要はそういうことを求めているのですから、そういう女性たち以上にそこを埋めてあげればいいのです。
今選択しようとしていることが苦しいのは障害があるからです。
その生涯を障害でないものにしていくことです。
本当にあなたが相手にするべきなのは今あなたが相手にしている内なるご主人ではなく、直接お会いするご主人です。
人間が相手にしているモノの9割は自分の思いです。
実物を相手にできるようになること。
それが仏教の概要です。
思い描いた相手でもなく、思い描いた想念でもなく思い描いた仏でもない、どっちに転んでも大丈夫な実物のリアルの究極の真実にどシラフで出会うこと。それが本当の本物に出会うということです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
もっと気持ちを落ち着かせます。
子供にとって何が一番いいのか、改めて考えます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ