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素朴な疑問です。

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葬儀後の気持ちの持ち方についてアドバイス頂けますでしょうか。先日祖母の葬儀がありました。

私の父の兄弟に認知症で被害妄想の酷い、また衝動的な行動をする方がいます。口も達者で歩くことや身辺のことはなんでもできます。

その兄が認知症だと分かる前に私の家に来てお前の父さんをブタ箱にいれるなどと言ってからトラウマになっています。

葬儀中もウロウロとしたり、仮葬場ではいきなりおりんを鳴らそうとしたり、いつ暴れるかとても怖かったです。

そのこともあり葬儀に集中していても何をするんだろう、などとソワソワして気が抜けませんでした。

認知症だということはわかっています。
だけど四男の父が兄弟がなにもしないからと俺がやらなきゃと全て背負ってやっているのに、酷いことばかり言う叔父さんが嫌で仕方ありません。

どうしたらいいでしょうか。
自己嫌悪です。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

当たり前の感情では無いでしょうか。

僧侶が、言ってはいけないのかもしれません。少なからず、経験した方もおみえだと思います。

おじさんは、飲酒もなさったので無いでしょうか。

今、認知症の方が、非常に多いです。

私の親族も、先日、その様に診断され、車の運転も、辞めさせました。

コテツさんは、どうぞ、精一杯 お父様を、手助けしてあげてください。

申し訳ありませんが、おじさんについては、そのご家族に、責任の一旦が、あるのでないでしょうか。

その事について、伝えないといけないのかもしれませんね。

でも、会うのは法事の時くらいに、少し距離をおく事も、ひとつかもしれませんよ。

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ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

煩悩と戦う

病人や障害者が、その病や障害ゆえに、他の人が理解しにくい言動をしてしまうことは、仕方ない。
それはあなたも充分ご理解されているようですね。
理解できているなら、もはや、戦うべき敵は、自分自身の感情(煩悩)だけです。
叔父さんの言動に感情をかきみだされて理性を失ってしまうと、高齢者虐待などにつながる恐れがあるのです。

ひたすら、ひたすら、あなた自身の欲・怒り・怠け・プライドといった煩悩と戦うしかないのです。
叔父さんをギャフンと言わせたい「欲」、叔父さんに腹が立つ「怒り」、
トラブルの後始末や余計な世話をしたくない「怠け」、叔父さんにひどいことを言われたくない「プライド」と、
戦うしかないのです。

その戦いの助けになるのは、慈悲です。
叔父さんの幸せや、叔父さんの悩み苦しみがなくなるように願う気持ちを無理矢理にでもイメージする方がよいのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

背負ってきた業(ごう)

認知症になるのも、四男で葬儀を出すのも、その一族に生まれたあなたにも皆、過去世から背負ってきた業(因)があり、その報い(果)を受けているのです。
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嫌なこと辛いことはすべて過去の自分が撒いた種が原因ですから、この苦しみから逃れることは許されません。
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仏教は因果の道理に万に一つも例外を認めません。ですから奇跡も偶然も完全に否定します。
「嫌だなあ」と思いながらも堪え忍ぶ、それが生まれてきた目的なのです。
堪え忍ぶ目的を一つ一つ達成して行くならば必ず好ましい結果を得られます。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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