喪中や忌明けとは、、
喪中や忌明けについて詳しく教えてください。
最近祖母が亡くなりました。
来年、結婚を予定していますがご挨拶や報告をして良いのか考えています。
相手は真宗大谷派の副住職兼地方公務員なのですが、お母様は構わないと申しています。
どうお考えかアドバイスお聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
世間と浄土真宗は、結構違いますから。
年末になると、「喪中につき年始の挨拶をご遠慮いたします」というハガキが届きます。確かに家族や親族が死を迎えることは悲しく寂しいことに違いありません。しかし、それと新年を寿くことは相反することなのでしょうか。身内が死を迎えたので新年を祝ってはならないということは、身内や私は死で穢れていて、他人に接しては忌み嫌われるということ。ご先祖になった家族を仲間外れにした年賀って何だろうと思います。
神道で死を忌む「喪中」という考えが、死別の悲しみに混在してしまえば、「死」をしっかり見つめる御縁を逸してしまい、「生」のみが人生になってしまいます。死は悲しいことではありますが、生死無常の道理に目覚めれば、「死」もまた我らなり。生は偶然、死は必然。娑婆の縁尽きて、力なくして終わる時、彼の土へは参るべきなり。『あらたまの歳のはじめは祝うとも、南無阿弥陀仏のこころ忘るな(蓮如上人)』
そもそも喪中とは、服喪令というかつての法律によるもので、喪中の期間はかなり厳しい生活が要求されます。現代では本来の喪に服した生活をしている人はいません。年始を祝う気持ちになれない情は理解できますが、喪中のハガキではなく、せめて「歳末の御礼」か「寒中見舞い」で身内の死を知らせつつ年始の挨拶を出して、年賀状を失礼する旨を伝えたら良いのではないでしょうか。そのような文案を考えてみました。
【例文】『 寒中お見舞い申し上げます。昨年、△△が□歳をもって安養の浄土に往生させて頂きました。世俗通途の義に従って御挨拶ご遠慮申し上げるべきかとも存じましたが、安芸門徒として如来の大悲を頂く者にとって、死別は潤涙のことですが、死は決して忌むべきことではなく単なる通過点に 過ぎないとお聞かせ頂いておりますゆえ、新年の御挨拶を申し上げます。「人の世に生をうくること難く、やがて死すべき者の、いま生命あること難し(法句経)」
もし御無礼になりましたら何卒ご容赦下さい。今年一年たどたどしいながら、お念仏申し上げつつ、倶会一処の歩みを続けて参りたいと存じます。今年もよろしく御教導下さい。 』
大丈夫です。
浄土教では、往生は 阿弥陀如来様のお浄土へ往生させて頂く。
尊い事です。
ですから、あくまでも、お葬式では無く、告別式です。
間違いなく往生させていただけるのですから。
大丈夫です、どうぞ、話しを進めて下さい。
女性が結婚する意味
女性とは、婚家先のご先祖さまに、この女性なら未来を繋いでくれるに違いないと、認められた存在です。
あなたは真宗のお寺とのご縁を結んだのですから、婚家先のお母様に従えば間違いありません。
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お身内を亡くされた翌年は通常、「新年の(お慶びの)挨拶」を失礼いたします。
四十九日の忌明け、つまり他に目もくれず全力で死者に追善の供養をする期間が終われば、新年の挨拶をのぞいて祝い事を述べることに(特にあなたのご実家に)無礼はないと思います。
質問者からのお礼
追加で質問なのですが、これは四九日を過ぎれば向こうのご両親等にご挨拶して良いということでしょうか、、