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仏教での考えを教えてください。

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有り難し有り難し 48

何十年も生きてきたので、色々な人がいて価値観正義感も色々だな、と思っています。
そういったなかで最近実際目にしたことから疑問に感じていることがあり、質問させていただきます。

例えばイジメや嫌がらせのような状況の時に、ボスタイプと虎の威を借る狐タイプはだいたいセットになっています。
ボスタイプは直接手(発言等)を下すので、傍から見ている人にも「ひどいわね」と、被害者以外からもわかってもらえると思うのですが、狐タイプは裏表をずる賢く使い、裏では告げ口などでボスタイプを利用し自分の手を汚さずに欲求を解消していながら、表向き良い人にみえることも多いなと思うのです。
そのためボスタイプは周りから敬遠されていながら、狐タイプは人間操作に長けているので人気者、いじめられた人間だけが真実を知っているという・・・。

仏教神仏の考えかたでは、ボスタイプも狐タイプもかわらないのでしょうか? 私としては狐のほうがひどいな と感じますが。

2018年5月12日 15:10

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

なにが言いたい?

ところで、
あなたはいったい何に賛同してほしいんだい?
それを聞いてどうしたいんだい?

誰かを責める為の根拠にしたいのかい?
自分を肯定し安心を得る為の材料が欲しいのかい?

2018年5月13日 0:30
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有り難し
おきもち

となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

評価=妄想

お釈迦様だったら「誰かを評価する心は妄想だから、離れなさい」って言うと思います。

目の前の人たちを評価して、タイプ分けして、そうすることで得られることは何でしょう?
もしかしたら、一時的な「安心」は得られるかもしれませんが。
そこで生まれてくる色眼鏡はあなたの自由な心を少しずつ狭める気がします。
「あ、あの人はキツネタイプだ!」とか、「ボスタイプだ!」とか、枠で捉えた途端に、相手のそれ以外(もしかしたら良い部分も?)を切り捨ててしまうからです。

仏教ではその妄想自体を戒めるものと思っています。
でも、評価という妄想はなかなか頭から離れてくれません。(私も捨てきれません)
だから、日々修行するつもりで生きていくのです。
「あ、これ妄想だ!」って気づきながら、その都度離れる努力をしながら。

願わくば、ほうじ茶さんが少しでもそこから離れて、楽になれますように。

2018年5月13日 3:10
{{count}}
有り難し
おきもち

本立寺の住職をしながら、臨床心理士として医療・教育現場で活動しております。...

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
転落院さま、力強い質問ありがとうございます。お気づきかと思いますがイジメ嫌がらせを受けたのが私なので、「自分を肯定し安心を得る為の材料が欲しいのかい?」が一番近いのかなと思います。
表向き親しくしてきながらネタを収集し裏では告げ口噂を広げるような卑怯な人よりは、堂々とイジメをするようなハッキリした人のほうが理解できるので(イジメはもちろんいけませんが)、また狐は表向き親しくしてきていたので信じていた分ショックが大きく、その分怒りも大きく、まったく関係ない公平な、そして精神を鍛えていらっしゃる立場の方からの意見が聞きたいと思いました。

高野光拡さま、ありがとうございます。
自分では他人を評価することは控えているつもりですが、何か起こるとしてしまっていますね。
仏教またはお釈迦様の考えは、妄想はもちろん、心がその場に囚われることが良くないのでしょうか。
どのような状況でも妄想しないよう努力してみます。

ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 42
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