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考えすぎ、心配しすぎる癖

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私はもともと人から心配性だなと言われるのですが、ちょっとしたことで考えすぎて心配してしまいます。

例えば何か不幸なニュースを知った時に「自分や家族、友達や恋人にこんなことが起こったらどうしよう…」と思いすぎたり、ネットでそのニュースについて言及している人のいろんな意見に左右されて不安が大きくなったりもします。ひどい時は夜も眠れなくなったり、足が震えたり、好きなことをしても気分が晴れません。

心配のしすぎは体によくないよ、と言われますし私自身も苦しいので少しでもこれを改善したいです。どうすればいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「妄想」をストップ

ニュースを見たときに恐怖を感じたりする感性は、社会に出て仕事するときにも役立つはずです。
他人の失敗をバカにする人より、他人の失敗を自分に置き換えて恐怖できる人のほうが良いのです。

しかし、ニュースのことを夜に寝るときに繰り返し考える必要はありません。
同じことを何度も考えてしまい、特に新しいアイデアが浮かぶわけでもなく、嫌な感情だけが増幅してしまうような場合、そのような思考の堂々巡りに対しては、「妄想」だと気づいてください。
心の中で「妄想」とラベルをペッタン貼って、そのことを考えるのは停止し、別のことを考えたり、別のことをやりましょう。

また、妄想してしまう原因の一つに、「わからない」ことがあります。
突然ですがクイズです。日本の首都は?答えは東京ですね。
答えがわかっている場合、何度も「日本の首都は?」を考える必要はないので、妄想しません。
わからないことについては、色々妄想してしまう。
なので、社会のことを勉強なさって、「わからない」を減らすのも良いですね。
それでもわかりっこないこと、確かめようのないこと、また、今は考える必要のないことには、「妄想」ラベルをペッタンで。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

実物以外相手にしなければいい

思いばかり相手にしていませんか?
実物は決して心配させません。
傷つけません。
目玉は実物を見ても減りもしないし増えもしません。
ところが、その直後、2nd時点で思いをオプション的に付随させ、そっちの方で苦しんでいることを自覚してください。
そうすれば、その思いに染まらない様に気を付けるようになりましょう。
そうすれば、実物以外相手にしなくなりますから、当の本人、気にしている出来事と、リアルタイムで現場で出くわすまでは絶対に出会わないという事がわかるはずです。
それによって、苦しみから解き放たれる事でしょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

砂糖の入っているものの摂取を一切やめると、案外治りますよ。なぜかはお調べ下さい。「砂糖の毒」とかで検索すると出てくるかも知れません。

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僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動する指圧師、作家、音楽家。タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され世界各地で出版されている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8%E5%8F%8A が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります) なので、修行したい方、人のために涙する方、楽しいことが好きな方はぜひ来て来てください。あなたを歓迎します。 ※毎週、法話を配信しています。書き起こされた法話は、下記でご覧いただくことができます。 http://taosangha.com

質問者からのお礼

ありがとうございました。今までは何か意識することもないまま苦しんでいたので、思いを相手に苦しまない、実物以外相手にしないこと、妄想ラベルを貼ること、意識して気をつけます。砂糖の入った甘いものも日頃よく食べているのでそれもやめてみようと思います。

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