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一度神仏を否定しました。こんな私に・・・

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わたしは、もともと運のある人間だと思っていました。これまで、大した苦労もしていなかったですし、細々としたことですが、危ない目にあっても、ちょっとの差で切り抜けて、「あー、よかった」と思うことが多かったです。

 小さいころから祖父母の家には仏壇と神棚、庭には社があります。祖父母の家に行った際や、行事ごとにお祈りをしていました。そのため、神仏は生活の一部で、深く考えることもなく大人になりました。

 そんな中、1年ほど前、図書館で神仏についての本を借りました。キリスト教と仏教についての本でした。私はそれを読み、神仏というものは、人が造り出したもので、実際に存在はしないのだろうと解釈しました。その時に、神仏を自分の中で否定しました。

 ただ、それを信じているひとたちを否定するとかではなく、自分の考えとして、神仏はないのだろうなと思いました。人は死ねば「無」だろう。お墓もいらない。ご先祖様に祈りはしますが、実際に届いているのかは・・どうなのだろう。といった感じです。
お墓参りやお仏壇、社、神棚へのお参りは生活の一部のため、ずっと
してきてはいます。ただ、祈っていても、気持ちにブレがありました。

 それから、なんとも思わず生活していたのですが、1年後の今、振り返ってみると、散々な年でした。流産を含む入院手術2回、旦那のうつ、旦那の仕事の不振、私の為替不信、父母の病気の発覚などです。

 神仏否定でそのようなことになったのかと言えば、そうではないかもしれませんが、人生を振り返ってみたら、「目に見えない何かに絶対に守られていた自覚はあるのです」私が間違っていたのだなと今、自覚しています。

 こんな私でも、今からでも神さま、仏さまは受け入れてくれるのでしょうか。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

神仏とは…

神仏を「目には見えないが存在し、信じれば自分を災いから守ってくれ、信じなければ災いをもたらすもの」と定義するならば、おっしゃる通りそれは人が造り出したもので、実際に存在はしないという解釈で問題ないと思います。少なくとも仏教においては。

神様はどうか知りませんが、仏様はそういう存在ではありません。世界の創造主でも運命の支配者でもないのです。

あなたが、大した苦労をせずとも、危ない目にあっても、ちょっとの差で切り抜けて、「あー、よかった」と思うことが多かったりしたのは神仏を信じていたため神仏が守ってくれたということではありませんし、神仏を否定した後に散々な年になったになったのは神仏が怒ったわけではありません。

そのように吉凶禍福を「神仏のせい・おかげ」と考えるのは人間の心であり、言ってしまえば都合です。そして吉凶の判断基準もその人のその時の都合です。

そういうことに目覚めたのが仏様です。最初に目覚めたのはゴータマ・シッダールタという人間です。人間が真実に目覚めて仏様になったのです。目覚めたからと言って超能力を手にいれたわけではありません。そうではなくて、事実に目覚めたのです。

事実とはあらゆる物事には原因があるということです。原因があり、条件がととのって結果が生まれる。だからあらゆる物事は他と無関係に独立して存在しているのではないということです。

あなたに良いことがあったのも、悪い事があったのもそれがそうなる原因があり、そうなる条件がととのったからその物事が起きたのです。そして物事自体には良い悪いはなく、ただ起きただけです。その起きた物事に良い悪いの評価をくだしているのは人間です。その人のその時の都合です。

そういうことに目覚めたのが仏様です。

物事には原因や条件があるといってもそれらは目に見えないし全てを人間の頭では把握しきれません。
だからはからずも私の都合に合う形になった時に目に見えないご縁に感謝するということはありますが、それは仏様がそうはからってご縁をととのえてくれたわけではありません。

様々な悪い(と自分が思う)出来事が重なると大変不安になるでしょうし、実際にかなりお辛い事と思います。
しかしそれは神仏がコントールしていることではない、と明らかに知るのが仏の智慧です。

もう一度図書館で本を借りてみるのも良いかもしれません。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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本当の神仏に出会えると人は変われる

私が自分で考えた「神仏とはこういうものだろう」と思った神仏。それは99%の確率で神仏ではないも。「私がこれが神仏だろうと思い込んだ❝私が考えたもの❞ではないでしょうか。
本当の仏とは、外にあるものではありません。
内なる自分の本来性。心の外に特殊めいた仏を描くことをやめてみると良いでしょう。
人間は脳内でこの現代社会に適応するべく、実にまさに人間っぽい人間思考をつねに運転しています。それらの能動的脳内アクション、人為的脳内アクションを完全にやめ切ってしまうことが仏道です。坐禅もその一つです。
坐禅は坐禅をするのではなく、坐禅ということも打ち捨ててただ、本当に自分のこころをして何もさせないようにする。
すると心は本当に静かになる。
ほとけと言われるような人間の究極のやすらい、しずけさに至れるのです。
そこに到っていない内から「ほとけ」ということを想像・推測することは本当のホトケではないものを思い描いているだけの境地・境涯です。
あなた自身があなたの中のアナタ自身の仏さまを拝めるようになれるとよいのです。
仏道修行とはその為にこそあるのですから。

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有り難し
おきもち

大丈夫ですよ。あなたも仏さまに愛されているのですから。

さっくさん、こんにちは。

つらい、経験をされましたね。
神仏なんていない。人は死んだら終わりだって、若い時は思うものです。仕方がありません。神仏は見えない存在なのですから。でも人生経験を積んでいくうちに、神仏を感じることがたくさんあります。神仏は見えなくても感じてくるものなのです。特に大切な人を亡くした時、普通の人であれば、死んだらそれは無機物なんて思うことはできません。その人の魂をどこかに求め感じてしまうものなのです。

 さっくさんもつらい体験の中から神仏を感じたのだと思います。だからこれから神仏を敬う生き方をしていけばいいのですよ。大丈夫、神仏は私たちがどんなに裏切っても嫌いになりません。仏さまはそんな器の小さな人ではないのです。だから、今回もあなたにお慈悲の手を差し伸べているから、ハスノハへ繋がったのだと思いますよ。

 今から、仏さまを信じて信仰してみてください。そして心安らかにして、幸せな人生を歩みましょう。応援しますのでいつでもご連絡をしてくださいね。
頑張って p(^_^)q 。合掌

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有り難し
おきもち

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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。なにより、すぐにご回答いただいたことにうれしく思います。読ませていただいて、こうなったのは「なにかのセイ」にしたかったんだなと思いました。だいぶ心が弱っています。なんとか今を打開できる方法を探していきたいと思います。

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