卒業制作の発表の場でシステムを教授に笑われました
私は卒業を控える大学生です。
本日卒業制作の発表を行いました。
私はパソコンでシステムを作り発表し、その欠点も発表しました。
システムは海外のデータベースです。
そして総評の場で
「とるとさんのそれは検索システムとして成り立っていない」
といきなり皆の前で言われました。
さらに
「必修とかで習ったよね?」
「ソフトの特性を生かし切れていない」
「ただのホームページのコピペ」
と言われました。
確かに何も相談せずにシステムを作ったのならこう言われても仕方ないと思います。
でも私は三年の定期発表からこのシステムを作りたいと全体発表をして制作にこぎつけて提出しました。
それを最終報告の場で、しかも全体に対して名指しで言われました。
いきなり言われ、思わず涙も出ました。今も涙が止まりません。
私が二年かけて作ったシステムをフォローもナシに言われたこと、皆の前で貶したこと、データベースではなく検索システムと言い切ったこと、製作の前に何も言ってくれなかったことに対して怒りと悲しみが止まりません。
知識不足で間違いに気付けなかった私が全て悪いのでしょうか。それでも最後に、そして皆の前で言われたことに対し悲しみと怒り満ちています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ものは考えよう。
こんばんは。
一生懸命取り組まれたことをちゃんと理解してもらえない。
報われない気持ち お察しします。
だけど、これから社会にでたら、同じことが起こる確率は高いでしょうね。
自分が一生懸命手塩にかけて作ったシステム、
最善と思うものでも、クライアントの都合で二転三転。
そんな時にどういう対応を取るか。
怒って終わりでなく、そこからどうビジネスとして仕上げていくかが問われると思います。
教授がどんな方かは知らない上での助言で申し訳ないですが、
データベースを作っていて、データベースになっていないと言うのなら、深刻ですが、
データベースを作っていて検索システムと違うのは当然でしょう。
これから先、社会に出た際に理不尽なことも出てくると思いますが
あの時の屈辱に比べたら楽勝と思えるなら、教授の態度も貴重な経験になると思います。
すべて私が、すべて相手がという物差しや
正しさという武器で相手を責めているうちは
娑婆を渡るのは大変だと思います。
怒りで会社から給料もらうわけじゃないですよね。
勝負すべきは技術。
お客さんからのお金が給料に変わりますよね。
怒りというのは自分の感情。
報酬は相手からいただくもの。
周りの人がなんと言おうと、振り回されない心。自分の仕事を信じる心。
自分の作ったものに自分が価値を見出せるなら何も問題はないです。
いろいろご苦労あるかと思いますが
今後のご活躍をささやかながら祈念申し上げます。
救われている事に体は気づいている
今現在も泣いていますか?言われてからずっと何日も止まりませんか?そんな事はないですよね^_^止まってますよね。寝ている間流れてないですよね。
怒りや悲しみは、それはあなたの思いです。こんなに努力したのに、あなたが想定していた反応でない事が返ってきた。そこに対応できなかったわけです。
その教授?は思った事を口にしただけ。あなたは、それを耳にしただけ。そこにあなたは、
1こんなに努力したのに
2みんなのまえで
3前から発表してたじゃん
4言われた通り私は力不足だった
5認めたくない
6他人のせいにしたい
等々・・・
を後から付けたしその思いにとらわれているに過ぎないのです。怒りや悲しみはそうしてあなたを苦しめます。
あなたの涙は思い出すと出てくる。しかし考えなければ止まる。忘れているはずです。つまりは、すでに過去の事として体は捉えているにもかかわらず、あなたは頭でまた過ぎた事を取り扱っているのです。
すでに救われているはずです。体はわかっています。
すばらしい勉強ができた
皆の前で指摘されるという経験を、学生時代にやっておかないと、社会人になって初めてそんな体験をしたときに苦労します。
仮に皆に笑われたからといって、1円も損しません。
いい勉強になりましたね。
一生忘れないでください。