スケープゴートについて。
こんにちは。いつもお世話になっております。ゆーりです。
今日は、スケープゴートについてお坊さんたちは、どう思われるか?を質問させてください。
スケープゴートというのは言わば、「仲間はずれ」だったり、「怒られ役」のことです。
Wikipediaには・・・心理学の一つの用語としても存在する。特に精神分析学や社会心理学において、人は無意識のうちに、不満や不快を覚えると、不快感やルサンチマンなどを他者に対して抱く。このような現象はあらゆる集団で発生しうるものであり、そうした不快感を押し付けられたり被られたりした個人は、その特定の集団内においてスケープゴートとなるのである。それ故、ユダヤ人の移動行動のようにスケープゴートとして犠牲になるまえに、他の地域へ移住することによって難を逃れるといった、適切な対処を行わなければならない。
とあります。
集団はストレスをその人に押し付けます。
自分が、人より優れていたい、人を蹴落としてでも、優位に立ちたいという人間の醜い一面が、見え隠れしています。
さらに一般には、スケープゴートが集団にいたほうが、集団がまとまることもあるようです。
こういう人が生まれてしまったら人間は、逃げる以外に方法はないのでしょうか?
何か、周りにできることはないでしょうか?
また、こういう人が生まれないようにするには、どうしたらよいでしょうか?
今日、学科の留年してしまった友達が(一つ上)が、クラスでさらし者にされていて、自分は何もできず悔しかったです。
ぜひ、意見をお聞かせください。
人としてやはり、許せません。
また将来、教育者を目指すので、クラス経営などでも、役立つお話だと思います。
お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
金魚は食えねえぞ
昔ある学校でいじめられっ子が、クラスで飼っていた金魚を半分に割いて窓際に捨ててしまった、という話がありました。
犯人はすぐに見つかり、つるし上げを食らいました。
その学校の担任の先生も立派な方だったようで、微妙な問題ゆえ、校長先生の所にまで話が伝わりました。
校長先生が、教室に入ってきて、お説教という大事態。
シーンとする中、さぞかしこっぴどく叱らるだろうという時に、
「ゆーりくん、お前なかなか魚をさばくのがウマいじゃないか、ハッハッハ。だが、金魚は食えないの知らなかったのか(笑)。今度ウチに来てセンセイに刺身をさばいてくれんか(笑)」
ドッとクラスに笑いと和んだ空気が吹きこまれたのだそうです。
彼はその10年後、お寿司屋さんになった…?かどうかは分かりません。昔読んだ大好きな話です。これぞ苦を楽に変え、死中に活路を見出す❝一転語❞というものです。
これを応用すれば、政治家の問題発言、差別発言の時にこそ、
「たしかに○○氏の発言は不適切でありました。ですが、私たちに一片の差別心が無いといえましょうか。○○氏をただ批判して、責任追及、辞任に追いやるまま日本のままでいることが真に私たちが国際社会で世界を率いる豊かな国となるにふさわしいことでしょうか…!」
などと、好転することができるのです。
ところが、そんな政治家、リーダーはいません。そのくらい日本人の品位は下がってきているのです。ですから日本の未来を担うべき若手の政治家や教育者には参禅を勧めています。
大学時代、私が大好きな友達は、みんな留年組でした。人生経験が豊富なので。
進級ができたとしても、彼をイジメたことの是非を問わずにいれば、人間として一生留年です。
福島の問題もイジメ、差別、スケープゴートのメカニズムとして「自分より低い立場の者を責める事で精神的な安定感を保つ」のだそうです。それはものの道理を知らず、自分に向き合えない弱い人間のやることです。だからこそ、真のリーダーがいつの時代にも必要なのです。
ゆーりさんが真の教育者の道を歩まれるのであれば、物事の根本を見抜いて、表面的な悪、一面的な悪に振り回わされなかった、かの校長先生のような明眼を養っていっていただきたいと思います。
悔いの無いように
初めて回答させていただきます。
私自身の経験ですが小学校5年生の時にスケープゴートにあっているクラスメートを庇護して、その子と一緒にクラスの男子全員に仲間はずれにされたことがあります。
6年生になるまで仲間はずれは続いたのですが、自分がしたことが正しかったと思っていたので悲しいとか辛いとかは思いませんでした。
スケープゴートを無くすというのはなかなか難しいと思います。しかしその中で自分の態度をはっきりするという事はとても大切なことではないでしょうか。
ゆーりさんもどうか後悔の無いように自分の道を歩んでください。
罪を憎んで人を憎まず
まず
『スケープゴートについて、どう思われるか?』
ですが、「罪を憎んで人を憎まず」で、いじめてしまう人にも良い部分があり、スケープゴートを行ったという行為をいさめる立場をとりたいです。
次に
『逃げる以外に方法はないのか?
何か、周りにできることはないか?
こういう人が生まれないようにするには、どうしたらよいか?』
ですが、
逃げる以外に方法がある人もいますし、無い人もいるでしょう。それぞれの立場を尊重し、周囲はそれをサポートすればいいのではないでしょうか。逃げたいという人には「いつでも帰ってきてね」といい、留まる方には「私も逃げないから」と言って差し上げては。
スケープゴートが生まれないようにする方法は、私には思いつきません。ただ、生まれにくくするには、日頃から各自の自己肯定観を高めるようなワークを行うなどはいかがでしょうか。
クラスでさらし者にされていた方を何とかしたいと思った、ゆーりさんは強い心を持った優しい方ですね。
こうやって、ここに質問をされたというだけで、その方はうれしいと思いますよ。これからも、その正義感を大事にされてください。
それと同時に、スケープゴートを生み出してしまう、社会や各家庭の辛さも、ぜひ一緒に考えてまいりましょう。
二つの平和
ゆーりさん、なごみ庵の浦上哲也です。
今回はスケープゴートについてのご質問ですね。
改めて考えると、難しい問題ですね…。
もちろんそんなものは無く、みんな仲良く平等に、というのが理想です。
しかし人間の本性とは生易しいものではなく、どなただったか失念しましたが「人間存在を煮詰めていくと、ドス黒い嫉妬の固まりが残る」という言葉があります。また浄土真宗の宗祖 親鸞聖人は自身について「私の心は毒蛇、毒蝎のようである」と仰っています。
でも難しいから仕方がない、諦めようというのは、本能に対して白旗を揚げることのように思いました。
「平和学」という学問があります。
一般に、戦争や紛争などの「直接的暴力」が無い状態を「平和」と言いこれを積極的平和と呼ぶそうです。
平和学ではさらに、貧富の差や男女差別、人種差別などを「構造的暴力」と呼び、これが解消された状態を消極的平和と言います。
世界中から戦争を無くすことは至難の業でしょう。それ以上に構造的暴力を無くすのは不可能に思えます。でも、そこに向かって不断の努力を続ける、これが仏教者として、いえ「かっこいい男」として歩むべき道ではないでしょうか。
スケープゴートはユダヤ教の教えですが・・・
ゆーりさん。色々勉強なさっている方とお見受けしました。スケープゴートはユダヤ教の教え旧約聖書に書かれた話でしょうか。「贖罪の山羊」のことを言っているのですね。歴史に見るとナチスのユダヤ人狩りやアメリカの日系人強制収容。
スケープゴートは負のイメージも多いと思いますが、それはユダヤ教でのお話し。スポーツ、芸能の世界に嫌われ役というものがあり、自ら悪人となり集団の輪を形成し、技術力を高めたり、作品を深みにあるものに変えたりします。(これは違ったらすいません。)
仏教とは離れますが、何となく、日本人というものは勧善懲悪より判官びいきのところがあり、黒でも白でもなく、グレー(灰色)感が一番理解でいる人種ではないでしょうか。学科の留年してしまった友達がスケープゴートに遭いましたが、あなたはその友達を裏切らずに仲間でいた、味方でいたのではないですか。あなたがスケープゴートしなかったことはその友達にとってはかけがいのないことであったのですから、何か問題でもあったのでしょうか。あなたはスケープゴートという言葉に惑わされていませんか。
敢えて言うなら、クラスという枠組みの中でしか考えられないあなたこそスケープゴートを誘発しているかもしれませんよ。「あなた解ってない。」と言われてもいいですが、もしそう思ったなら、私をスケープゴートすればいいでしょう。
ちなみに過去の回答で私の過去を小出しにしています。読んで頂ければ解りますが、私の事を好きな人よりも嫌いな人の方が多いです(多分、私の勘違いカナ。無関心なのかもしれない。)変わった性格の私の責任もあります。でもね、結婚もしたし、志を同じくする仲間も出来ましたよ。苦労はしますし、布教のためお金ももう少し欲しいな。幸せかどうかは別として不幸ではないですよ。
質問者からのお礼
一行寺の覚誉浄順さんへ
明日、ソフトボール大会があり、留年君と以下にハイタッチをしないか?
を女の子たちは、試行錯誤しているそうです。
僕は一番に「ナイバッチ!!」三振しても「スイングOK!!」とデカい声で出迎えたいと思います!!