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情けない自分について

回答数回答 2
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突然ですが現在180万円の借金があります。

始めは50万円程度の借金でした。
原因は現在お付き合いさせて頂いてる彼女との交際費でした。

自分なんかに彼女がいるのは今だけだろうと思い身の丈にあわない遊び方をしていたのが原因です。

同棲を始め頻繁に遊ぶことがなくなりそれ以上は増えなくなってから早く返済したいと転職を決め退社しました。

しかしその後仕事をすることなくアルバイトを転々としていると次第に生活が苦しくなり、再び少しづつ借金を重ね現在では180万円まで膨れ上がってしまい、返済も滞り催促状が届くようになりました。

こんなどうしようもない自分を責めることなく彼女は側にいてくれます。

次第にそんな彼女と結婚したいと思うようになりましたが、現状では無職で債務持ちの自分ではとても結婚などできません。

なんとかしようと弁護士の方に借金の相談をし正社員の面接もいくつか受ける予定ですが、意思薄弱で怠惰な自分ではとても上手くいくとは思えません。

こんな情けない自分を変えるにはどのように心がけて日々生きて行けば良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

スイッチを入れるように

いきなり180度切り替えるのがよい。
少しずつ変えることは出来ない。また、怠惰な自分が頭を持ち上げます。
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自分を追い込み逃げ道を作らないことです。彼女さえよければ債務を抱えたまま結婚することです。
自分で変わる意志があまりにも弱いならば、変えざるを得ない状況を作ってしまえばいいのです。
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結婚は苦難を共に乗り越えたいと思う二人の気持ちが重なったときにするものです。
彼女にそうであるか聞いてみるがいい。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

口先だけの「~していきたいと思います」は信用しません。

こんにちは。
お寺の借金があなたの10倍以上残っているカネ無し、脳無し、知名度無し、先日子供3人目を授かり回答するヒマなしボンビーヒ・マナーシー丹下と申します。
すでに回答者がいらっしゃいますので、重なる部分もあると思いますが、私も一意見を申し上げます。
ちょっと、あなたの為に厳しい事を申し上げます。
慈悲としてざっくり申し上げます。
借金ありで結婚したいが、何をするでもなし。
おまけに追い詰められ感がないということはアンタ彼女の事を本気で愛していないのですよ。(-.-)
自分の都合で好きとか言ってるだけじゃないの?
アタマの中でだけでしか行動していない。それは行動、アクションではない。
こう言われても何も奮起する気持ちも起こらんでしょう。
起こればまだマシです。
人生ナーナーで行こうとしてるから、本気になれない。
本当に彼女の事が好きだというなら別れた方がいいんじゃないですか?甘えてるようじゃ最低ッスわ。
彼女の人生も含め責任を持つ気が全ッ然ッないでしょう。あなたはお金もないのに見栄を張って、体裁を取り繕うためにそうしてきた。本気になればこんなところに相談している場合ではない。
お礼でも、きれいごとを言わんようにしてください。
あなたの一番の悪い癖は、本当のコトを扱いに向かうのが後回し、二次的であるからです。
返信は要らんです。結果を出してください。結果を出せたらご返信いただきたい。
それがないなら、あなたは別れるべきです。それが彼女への誠意。
さぁ、ここを原動力にしてバネにして私を見返してください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

まったくその通りであると思います。

上手くいくかどうかわかりませんが、一度生まれ変わったつもりで仕事の事やお金の事に取り組んでいきたいと思います。

もちろん彼女にもしっかり思いの丈を伝えたいと思います。

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