奇形の蝶
初夏から揚羽蝶を飼育しています。
卵から育てたもの、幼虫を見つけてきたもの、20頭あまりを飼育しました。蝶のシンプルで美しい一生の、貴重な時間を見せてもらっていました。
幼虫の段階で死んでしまう子、さなぎの時点で死んでしまう子。悲しいことがありながらも、毎日声をかけながら、愛情を持って虫たちに接していたつもりでした。
その中で一頭、羽化不全と言って、羽が伸びずにさなぎから生まれてきてしまった子がいました。
野生に放しても、確実にすぐに命を落としてしまうことは分かりきっています。
私は、その子の寿命がつきるまで、家で面倒を見ることにしました。
その子はもともと体が弱かったのか、次第に足がもげ、羽もちぎれ、与えた餌を摂取するだけの寝たきり状態になりました。
次第に、「これが生きていると言えるんだろうか。私は不自然なことをしているのではないだろうか」考えるようになり、
半年前から友人と約束していた旅行が控えている事もあり、
その子の存在を疎ましいと、思ってしまいました。
どうにもならない苛立ちから、世話をしている夫と蝶に酷いことや、悲しい事を言いました。
その三日後の朝、蝶は死にました。
私が心ない事を言った翌朝から元気がなくなり、二本だけ残っていた足ももげました。
私のせいです。そう思えて仕方がありません。
愛情を持ってかわいがっていたのは「つもり」で、自分にとって不都合な形になってしまった子は、愛せませんでした。蝶には、それがわかったのだと思います。
不格好でも、生きていたのに…
旅行なんて行かなくても良かったのに。
どうしたらつぐなえるのでしょうか。
静かに暮らしたい。
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自然の法則を曲げることはできません。
小鳥さん、こんにちは。
育てている蝶が奇形で死んでしまったのですね。それは飼育という問題以外は、あなたの責任ではありません。動植物は生まれる時に0.数パーセントの確率で遺伝子変異で生まれる宿命を持っています。生物はそうやって、未来に子孫を残す確立を高めるために、遺伝子変異を作っていろんな個体を作り上げ、万が一のために対応しています。死は悲しいことですが、死ぬことも大切な生物の役割であるということを受け入れることが大切です。
もしかして飼育という環境で奇形が生まれる場合もありますが、あなたが生きる上において飼育が大切なことであったのであれば、それは仕方のないことです。もし無意味に生命をもてあそんで飼育しているのであれば、飼育の在り方、有無を考えることは必要かもしれません。
蝶の飼育に責任があると動揺に、夫婦として夫のふれあい方についてもあなたの責任があります。命の大切さをはき違えると、カルトの動物保護団体のように動物を守るために人間を殺してもいいという理屈と同じになってしまいます。
人は、他の動植物の生命の犠牲をなくしては、生きていけません。自然の法則その中で、どのように生きることがバランスが良いのか、考えて、生命の殺生を受け入れてください。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
お礼が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
生命をもてあそぶ…
考えさせられました。
世話をして、イモムシの成長を見守り、そして蛹になり、羽化して、巣立って行く。
この一連は、私にとって大きな喜びでした。
しかし、巣立つことのできなかった蝶を愛することができなかった私には、生命に対する覚悟が、なかったのではないかと思います。
これは生命をもてあそぶことにつながるのではないかとも思いました。
考えている間に、ベランダの植木に、蝶が卵を産んで行きました。放っておけば餌がなくなり死んでしまうので、ご縁だと思って、飼う事にしました。
奇形が生まれようと、寿命まで、気持ちよく面倒を見ます。
お坊さまと、蝶に、感謝いたします。