浄土真宗の法話
浄土真宗の法話を伺いに行こうと思っております。そこで、色々調べさせていただきますと、いくつかのお寺で何人ものお坊さんが法話をされているようです。
私は、お坊さんは一つのお寺にずっといらっしゃり、あるお寺ではそのお寺のお坊さん(ご住職)が法話をするものだと思っていました。
有難いことに、ところによっては音声の法話をアップロードしてくれていました。しかし、いざそのお坊さんのお話しを伺いたいと思っても、もうそのお寺では伺えないのです…。
できれば、法話などでご縁のあったお坊さんとお話しさせていただき、信心を深めさせていただければとも思うのですが、こういうことは難しいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
依法不依人(法に依りて人に依らざれ)
おそらく既にご覧になっているでしょうが、浄土真宗の法話がいつどこであるかは下記をご参照ください。
「浄土真宗の法話案内」
http://shinshuhouwa.info/
さて、いわゆる「自語り(じがたり)」という形で、そのお寺の仏事ではそのお寺のご住職がお話をされるというお寺もあれば、布教使さんを頼むお寺もあります。
布教使さんもほとんとお寺を空けてずっと全国を回る方もおられれば、ご自身のお寺の法務に空きがある時だけ布教に出られる方もおられます。
一人の布教使さんを追っかけて仏法聴聞していくというのはそれはそれで一つの手段ではありますが、あなたの場合はあなたが良いなと感じたお坊さんに個人的にあなたのお話を聞いていただいて仏縁を深めていきたいということでしょうか。
確かに「法(教え)」は人を介して伝わるところが大きいでしょうが、あくまでも私たち仏教徒が拠り所とするのは「人」ではなく「法」です。
どうしても「人」が必要という事であれば、お近くのお寺と関係を持ち、「その人から」というよりは「その人を通してあなた自身が」聞きぬいていくことが肝要かと思います。
法を求めて仏道を歩むならば、あなた自身が縁を選ぶというよりは、縁からあなたの方が選ばれてくるような出会いがあることでしょう。
まずは目の前にある縁から仏法に自己の姿を聞き訪ねていかれてはいかがでしょうか?その中で、たとえ離れていようと、あるいは会ったことがなかろうと、あなた自身の中で師と仰ぎたくなるような方との出会いも開かれていくのかもしれません。
あなた個人の思いはあなた自身が教えに尋ねていくのです。
質問者からのお礼
吉武文法様、ありがとうございます。「法」をよりどころにすべきなのはわかるのですが、自分一人で法に触れてみたところ、どうにも自信が持てず…。
縁から選ばれるような出会いがあるように、行動してみます!