何故この世界は動物を『物』として扱うのですか?
数日前に、猫が車に轢かれて亡くなりました。
猫を轢いても、引いた人は何の罪にもなりません。鹿とか狸とか動物ならなんでもそうです。でも、人間を轢いたら罪になります。動物を虐待して殺しても罪にはならないけど、人間を殺せば死刑になったりもします。同じ命なのに…。何故同じ罪じゃない!?と思ってしまいます。でも、動物の肉を食べたりしている自分の矛盾さに嫌気がさします。どうしたらいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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法律的罰はなくても、苦しんでいる
法律的な問題の上では罪になりません。しかし、動物を殺しても人を殺しても、嫌な気持ちにはなるでしょ。私たちの体の作りは法律以前です。むやみやたらに人やものをいじめたり痛めてしまうことを嫌う。やったら後悔するようにできています。
しかし、反面毎日生き物を殺し口にして生きている自分もいます。それでいて平気なんです。
生きる上で最低限必要な命はいただく。動物がダメで植物はいいということでもないでしょう。みんな同じ生き物です。
やはり最低限というところがポイントなんでしょう。
罪の意識は個人の頭の中で生まれるもの。法律的な罰はなくても、苦しみを味わうことにもなる。そして、反省したり、供養をしようという気持ちになれたらいいのではないか、と思います。
動物を虐待する人は、救われない何かを抱えているもの。苦しみの先にそうした行動に出るのでしょう。そして、行動に移してもなお、救われないのでしょう。
事故などで、轢いてしまった人のなかには、とてもかわいそうなことをしたと思い、後悔し、供養したり手を合わせてたりして毎日を過ごす方もいます。
話は違いますが、毎日スーパーで売られているお肉はどれぐらい売れないで処分されているのかな、と考えたことがあります。死ななくてよかった命がこの中に存在するのではと。私たちが口にする最低限で満足しなければいけないように思います。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
読んで心が少し落ち着きました。