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ネガティブな感情に負けそうになります。

回答数回答 3
有り難し有り難し 43

私は他人からどう思われるかがとても気になります。仕事でもプライベート両方です。

働くことが好きなのですが人間関係に気を使いすぎて疲れてしまい三、四年で転職するという繰り返しの状態です。

今まで勤めていた会社の人達とは今も付き合いがあり当時も人間関係は良好だったと思います。

ただ自分で勝手に気を使って明るく振る舞ったりしてしまうのです。

ただ嫌々明るくしているわけではなく、周りの人達に楽しんでほしい、元気になってほしいという気持ちがあるのです。

そう思っているのにぐったりしてしまいます。
一体何をしたいんだと自分自身に疲れています。

人の目を気にして嫌われたくない、良く思われたいという感情もあります。

何もしないようにしたこともあるのですが程々という事が出来ず人と関わる事を全て避けてしまいます。

以前、別々の職場の上司に『あなたは白か黒かハッキリしすぎる。グレーも作りなさい』と言われました。

どうしたら極端な方向に走らずグレーの状態になれるのでしょうか?

今、また人との関わりを断っています。
頭と心がバラバラで
これからも転職していくのか
同年代の友人は結婚、出産もしているのに自分がこんな状態でいることに不安でいっぱいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道(ちゅうどう)

お釈迦様が一番嫌ったのが極端です。
的確な平衡感覚(中道)を身につけることは大変に難しいのですが、難しいからと言ってやらなければ元の木阿弥。
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この世を娑婆世界と申しますが、意味は耐え忍ぶ世界です。
努力がなければ前に進めないようになっている世界に僕たちは生まれ落ちたのですから、もがき苦しみ努力することが生まれてきた本当の目的です。
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大きく揺れる振り子が時間をかけ静止するように、あなたもいろいろ試しながら極端から離れるしかないのです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

グレーだけではなく、赤も青も、緑も黄色も紫・・・

白黒グレーだけではなく、その名前すらつかない色がたくさんあります。
どんな色も名前がつく以前のその色があるのです。
その名前を付ける前の色のままでいいのです。それが事実というものです。
こうあるべき、相手を楽しませなければいけない、良いか悪いか、そうしたことばかりに振り回させるから疲れます。

振り回されるといっても、それはあなた自身が作り上げたものです。そうした、あなたが考えた正しいことという考えを捨て、グレーだけでなく赤、青、緑、黄色、紫、・・・そんな名前も付く以前の状況で生活したいものです。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

揺れている自分を発見する

ハッキリしたい、白黒つけたいという思いは、私にもあります。そして、白黒つけなければ一歩も進めない状況、というのも明らかにあります。世の中が、そんな性向を良しとしている、促している事も知っています。センター試験だって、何かしら決断して答えを書かなければ絶対0点です。
しかし…というか、だからこそ、「白黒つかない世界」を一部生きている事は大切だと思うのです。
私が結婚する前ですから、もう遥か昔の事です。当時の私には、「気になる女の子」が2人いました。二人同時です!「これはいけない、俺は不誠実な奴だ」と、不安になりました。どちらかハッキリしなければ。今となれば誠に不遜な独りよがりなのですが、当時の私は若かった。若気の至りでした。どうしようどうしようと思って、相談しました。「僕は一体、どちらが好きなのでしょう?」
相談した相手は、話もろくに聞かず、アッサリと言いました。「どっちつかずの分からない、が君の本心でしょう」と。青天の霹靂というか、「そんな答えがあったのか!」でした。今から思えば、「そう表現できないことで、自分を捉え損ねていた」という事なのですけど。
ですから、貴女も、もしかすると「揺れている自分を捉える言葉を持たない」だけなのでは?と思います。「どっちつかずの自分でも良いんだ。今はそう捉えるのがピッタリくる」と認めてあげて良いのです。ですから「グレーになる・ならない」ではなくて既に持っている自分の姿を発見する。急いで常に結論を得なくても、良いのです。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ