hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分が変わらない原因とは

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

私は大事な試合でいつも、後悔の残る試合をしてしまいます。勝ち負け関係なく、自分の力を出せた試合もありましたが、この前の試合でまた振り出しに戻ったような不甲斐ない試合をしてしまいました。

コーチにはいつも、技術じゃなくて、心がだめと言われ、勝ちたいなら勝つためにやらなければいけないことに集中しろと言われ続けてきました。

今回の試合は、目標にしてきた大事な試合で、この日のために一生懸命練習してきました。試合前にやるべきことを意識して確認して、準備をして、試合に入りましたが、試合が始まると、やるべきことに集中できておらず、全力が出しきれませんでした。

あれだけ確認して、今までも何回も同じ失敗を繰り返して落ち込んできて、もう二度とこんな試合はしてはいけないと自分でもわかっていたはずなのに。

実は今回の試合前、自分が準備していたことが急に変化して、それに動揺してしまったということも原因かもしれません。

それにしても、今までの経験からして、そんなことがあっても切り替えて臨機応変に対応しなければ勝てないのに、冷静に考えたらわかってるはずなのにできませんでした。

いつも、終わってから、ああすればよかった、なんでこうしなかったんだという後悔があります。
コーチには、まだ甘さがあるとか、本当に勝ちたいと思ってないからできないんじゃない?と言われます。

私は、自分の気持ちがわからないです。
今回の試合も、本当は自分にとって重要ではなかったってことなんじゃない?と母に言われ、そうなのか、、?と思ってみたり、人に頼って自分でなんとかしようとしてないのか、変わろうとしてないからなのか、何が本当の原因なのかわからなくなりました。そしてそんな自分が嫌になっています。

悔しい思いを何度もしているのに、同じような失敗を何度もしているのに。でも勝ちたい気持ちは絶対にあります。気持ちと行動が矛盾してますよね、、

また、4ヶ月に本当に本当に最後の試合があります。それに向けてまた頑張るしかないとは思うのですが、同じように頑張ってもまたダメな結果になると思います。
とにかく、自分がわからなくなっています。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心と体は同じではない

質問読ませていただきました。

自分の心の通りに体が動かない・・・もどかしく、つらい思いをされていると思います。

人間とは、なかなか思った通りに体が動かないもんです。

たとえば、太りすぎたからダイエットをしたい。体調も悪くなってしまったから心からダイエットをしたいと思ってるのに、甘いものを食べることをやめられない。

たとえば、素行の悪い人に恋をしてしまった。この人と結婚したら、おそらく幸せな未来は訪れないであろうから辞めたほうがいいとわかってるのに、好きという気持ちを止められない。

こんなことは、人間の世界では日常茶飯事で起こっていることです。

ですので、勝ちたいという気持ちが強ければ、体がその通りに動いて勝てる。というものではないでしょう。
極論を言ってしまえば、オリンピックで優勝できる人は勝ちたい気持ちを持っているでしょうが、勝ちたい気持ちを持ってる人がみんなオリンピックで優勝できるというわけではありません。

ぐりさんの本当の気持ちはどうか?
それはぐりさんの普段の行動に表れているんではないでしょうか?
普段一生懸命に練習する、試合前にしっかり準備して確認する、勝ちたい気持ちがなければそんなこと出来ませんよ!

色々緊張したり、後悔したりすることもありましょうが、勝ちたいと思って一生懸命練習したこと、それは忘れないで下さい!
そしていつも頑張ってる自分を褒めてあげて下さい。
また、いつも頑張って練習している自分を信じてあげて下さい。

悩みや迷いは、心を曇らせて身体を鈍らせます。
自分がやってきたことを信じて、力を出し切れるようにお祈り申し上げております。

ぐりさんのコーチも、言葉は違えど、きっと同じことを言いたかったのでしょう。
なぜなら、ぐりさんの頑張りを一番近くで見ているのは、他でもないそのコーチでしょうから。

{{count}}
有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
このお坊さんを応援する

考えでなく動けるかどうか

気持ちだけの話ではないと思いますよ。とっさの時には考えた人は動いていません。特にスポーツは瞬時の反射的動きが重要なのでしょう。どんな時でも動けるような、訓練をして考えなくても動けるようにしておくことでしょう。
あとは、緊張しすぎて固くならないようにするとかいうことでしょうが、それも練習でしょう。

臨機応変に動ける人は、そうした経験の有無により変わったりもします。精神論だけの話で話はないと思いますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

天王院 誠海様
回答していただき本当にありがとうございました。まず、自分のような思いをしている人はこの世の中にたくさんいるということ、そして、そんな簡単なことではないということを感じました。だからといって諦めてしまうのではなく、また次に向けて頑張ったらいいんだと心から思えました。自分の日頃の頑張りも、たまには褒めてあげようと思いました。

円通寺 邦元様
回答していただき本当にありがとうございました。邦元様のおっしゃる通り、プレーをしている最中は頭で考えても逆に足が止まります。今回の試合はまさにそんな状態だったんだとわかりました。試合前から準備はしていたけれど、とにかく、試合が怖いという気待ちが強くて、相手を見て本能的にプレーができていませんでした。試合の2、3週間前からも、ミスを怖がって練習していたのを思い出しました。やはり、その練習が試合に出てしまっただけだということがわかりました。全ては日頃の練習から。今回の反省をいかして、また次に向けて練習に励んでいきます。

「自分を・性格を変えたい・直したい」問答一覧

生きづらい悪い性格を良くしたいです

自分の悪い性格を変えたいです。 私は咄嗟に出た言葉で人に勘違いをさせて嫌な思いをさせてしまうことが多いです。私は傷つけるつもりで言ってなくても、言い方や表現が悪いせいで相手が傷ついてしまいます。 それだけでなく、わざと傷つけるような発言をしてしまうこともあります。これは私の性格が根本的に悪いことが原因だと思います。 子どもの頃から怒りっぽい性格で、イライラして暴れることもありました。それくらい性格がもともと悪いということです。 両親の仲がよくなかったことや、転校して不登校になったことも悪い性格の原因のような気もしますが、そういった辛い出来事がなくても、きっと根っからの悪い人間です。 数年前に気分障害になってからさらに性格が悪くなりました。 人のせいにすることも多くて、ネガティブな考え方ばかりして、すぐに怒って、愛情を持てません。自分の利益ばかり求めて、人のために何かをすることができません。 だから仏様はどうしようもない人間の私が人を傷つけないようにそばにいてくれているのだと思います。 穏やかで優しい人を見ると、うらやましくて、憧れと嫉妬もあって自分がとても惨めに感じます。良い人の周りには良い人が集まるという考えがあります。それならば私は悪い人間だから私の周りには誰もいないか、悪い人だけ集まるということなのでしょうか。 どうしたら穏やかで優しい人に変われるのでしょうか。仏教の勉強をしても、実践が難しくて、頑張っても悪い性格が治りません。 良い性格になるための教えがあったら教えていただきたいです。 わかりにくい文章でごめんなさい。 頭が悪いから、人に伝えるのが下手です。 まだ20代前半で、これから長いこと生きて行く可能性も高いのに、今のままでは生きていくことが辛いです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

寄り添ってもらえなかった心

こんにちは。 いつもお世話になりありがとうございます。 季節の変わり目のせいか、自分が更年期も含めて不調なせいか、気持ちが落ち込む日が続いています。 ふと振り返ると、義理の両親との同居生活で辛かったとき、夫は仕事に集中していて私の苦労には無関心で寄り添ってくれませんでした。 孤独で責任感に押しつぶされそうでも他人事のようで、その姿に怒りや悲しみでいっぱいでした。 また実家の父が亡くなった時には、母は自分一人が悲しみのパニックに陥って、一緒に悲しみ苦しかった私を一度も気遣うこともなく、亡くなってからもそれは続き『共に』という考えはなく私には寄り添ってはくれませんでした。 いろんな悲しみや辛さを一人で心の中にしまいこみ、寄り添うべき相手から寄り添ってもらえなかったことが今でも深い傷になっています。 後になって相手に私の気持ちを打ち明けてみれば、一応形だけは反省する気持ちを見せてはくれますが、どうしてもその時の癒しにはなりません。 誰にも精神的な力になってもらえなかったことは、今生きていることへの無力感や虚しさにとても大きな影を落としている気がします。 どうしたら自分を立て直すことができるでしょうか? なにかお知恵をお貸しいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

強すぎる規範意識に苦しんでいます。

神経質でルールに厳しいところがあり、グレーを許せない性格をしています。強迫性障害として現在は治療も受けているのですが、根本的に物事の捉え方を変えたいと思っています。 法律はもちろん、例えば「取扱説明書」に書いてある指示や、「利用規約」、会社の規定など、言葉に表されたルールや指示が存在すると、自分の行動がそれに反していないか、あるいは過去の行動がそれに反していなかったかと何度も言葉の解釈を検討したり人に聞いたり確認したりを繰り返してしまいます。 もちろん明らかな犯罪行為とか、他人に迷惑がかかるマナー違反などはやるべきではないと思いますし、ルールを守る意識があること自体はむしろ良いことだと思います。 しかし世の中、取扱説明書や利用規約は読まない人のほうがおそらく多いですし、はっきり言って商品の説明書の注意事項など、書いてあることを言葉通りに受け取って厳密に解釈・実行していたら、まともに生活ができなくなるんじゃないかと思うほどですよね。 とは思っているのに、「この充電の方法で合っているのか?」「この洗濯の仕方で良いのか?」などと細かく確認し、少しでも疑いがあるとやり直したり、厳密に正しいと言えるやり方に限定したり、どんどん生活が不自由になっています。(普通に考えて、ただのシャツを1枚ずつ個別に洗濯機で洗ったり、家で延長コードを全く使わなかったりする人なんてこの世にいるんでしょうか。) そして、誰かに迷惑がかかったり、事故が起きたりしたわけでもないのに、自分がとても悪いことをしているという意識に苛まれます。 最近は、数年前に知らずに法律違反を犯していた可能性があったことがきっかけで、知らない法律や規則があって、自分の行為は実は禁じられているのではないかなどと考え事をしたり調べごとをしたりする時間が増えました。 元々の性格もあるとは思いますが、少し前まではもっと大雑把な感じだったと思っていて、もう少し気楽に生きたいです。杓子定規により厳しい方に決まりや指示を解釈し、自分を縛るのをやめ、なんでもないことに罪の意識を感じたりしないようにしたいです。 治療も続けていますが、波はもちろんあるものの全体としてはあまり改善している印象がなく、考え方や物事の捉え方を変えたいです。もちろん医師にも相談はしますが。 何とか肩の力を抜いて生きられるアドバイスをいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ