どうしたいのか、どうなりたいのか
また愚痴を書かせて貰います。
毎度、何も変わらず同じ事を書き心苦しいですが、ここ以外に話す相手もいませんので、どうか呆れずにお付き合い下さい。
今まで同様私の悩みは、人間関係です。
会社では完全に孤立しています。
と言うより、人生で孤立しています。
まるで世界全てが私を否定しているようです。
もちろんそんな事があるわけも無い事は、頭では解っていますが・・・。
誰からも認めて貰えず、誰からも敬遠されています、勿論そんな事になるには、私に原因があるのでしょう。
でも私は思うのです、
「私だけを除け者にし笑っているアイツらは正しいのか! アイツは自分の保身の為にこんなことをしたじゃないか、アイツは只、媚びを売って要るだけじゃないか!なのに孤立するのは、私で、アイツは私が欲しかった物を持っている・・・納得出来ない!」
「其れが世界の仕組みなら世界が敵で、全てが憎い」
「アイツが憎い、アイツの横で笑っているアイツが憎い、アイツと話しているアイツが憎い、
全員不幸になればいい、全員に生まれた事を後悔させてやりたい! アイツにアイツもこの世界にも」
でも私は、只のぼっちで負け犬なので、何もできません。
そして此処に愚痴を書いてます。
此処に愚痴を書いるのは、誰かに優しい言葉をかけてもらいたいからです。
誰かに愛してもらいたいからです。
私を認めてくれない世界が憎くて憎くて仕方がなくて、誰のことも認めたくなくて、誰かに認めて欲しいと望んでいて・・・。
夜眠ると、朝が来て目が覚めます。目が覚めると同時に体が熱くなるのを感じます。
嫌だなと思いながら車に乗ると、憎しみが湧いて来ます。
会社で誰かの顔を見ると、憎しみが溢れ出します。
会社を辞めても同じでしょう。
何処に行っても同じでしょう。
今までの人生がそうだったのだから。
今まで誰も居なかったのだから。
「憎い、憎い、誰の事も許すものか、こんな世界は認めない」
「誰かに愛してもらいたい、認めてもらいたい」
そうやって、生まれた事を後悔ながらこれからも生きていくのでしょう。
何も出来ず、何も許さず、誰の事も認められず、
ずっとこんな思いで、死ぬまで生きていくのでしょう。
最悪です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
懺悔のこころ
読ませていただきました。
愚痴と最初に書いてあり、内容も愚痴なのですね。人の気を引きたいだけだから、
そうなのかとも思います。
といいますのは愚痴というのは一般語で、
言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。
でして、また、もともとは仏教語なのですね。
《(梵)mohaの訳。痴・無明とも訳す》仏語。三毒の一。心性が愚かで、一切の道理にくらいこと。心の迷い。また、そのさま。
三毒の一とは貪瞋痴の痴ということです。貪り怒り真理に暗いことを言います。
私が毎日お唱えしますお経に懺悔偈というのがありまして、
我 昔 所造 諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう)
我れ昔より造る所のもろもろの悪業は
皆 由無始 貪瞋痴 (かいゆむしとんじんち)
みな無始のむさぼり、怒り、おろかさによる
従 身語意之所生 (じゅうしんごいししょしょう)
身体と言葉と心より生ずる所なり
一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいさんげ)
一切我れ今みな懺悔したてまつる。
といったものですが、わたしもおろかさを毎日仏さまに懺悔(さんげキリスト教でいうざんげ)する毎日です。
これが大事なことなんですね。
あなたも仏さまに懺悔したらいかがですか?
サイの角のようにただひとり歩め
人生ぼっちさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。
人生ぼっちさんは人生で孤立し世界全てに否定されているように感じるのですね。そして人生ぼっちさんが否定されることが世界の仕組みなら、世界が敵で全てが憎いがぼっちの負け犬で何もできないのですね。
ブッダに人生ぼっちさんと同じような質問をした人がいました。ブッダが生まれた古代インドではカースト制があり一生カーストから抜け出すことはできませんでした。文字どおり、世界が敵だったことでしょう。
ブッダは「サイの角のようにただひとり歩め」と答えました。
サイの角は一本だけです。サイは何者にも動じることなく悠然と生きています。廻りの評価に惑わされることなく、自分の信じる道をただ一人で歩くことを推奨しました。
ブッダはカースト制度を変えることもできたでしょう。
しかし、ブッダはただ一人歩くことを選んだのです。結果として2500年以上続く世界三大宗教である仏教を今に伝えています。
愚痴を言うことは簡単にできます。でも、サイの角のようにただ一人で歩くことは覚悟が必要です。
人生ぼっちさんは、どちらを選びますか。
質問者からのお礼
お礼遅くなり申し訳ありません。
回答を頂いてから色々考えました。
「懺悔」ですが、私には出来ないでしょう、
形だけそれをしても、心からは出来ません、
それは、彼の事を、彼女の事を認めて、自分の置かれた状態を認めて、世界を認める事です、
確かにそれは私が望んでいる事ですが、出来ないのです。
だから誰の事も認められず、誰にも認められないのです。
この現状を認めて私の非を受け入たら、
私は何を頼りに生きていくのでしょう、
私が全ての元凶なら死ぬべきでしょう。
「サイの角」
私にその覚悟などありません、私は誰よりも周りの目に気にして、ただ此処で愚痴を言っている人間です。
私に「自分の信じる道」など無いのです。
どうしようもない人間ですね。
色々とすみませんでした。