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死にたい。という気持ちを理解できない。

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いつも、楽しく、ありがたく読ませていただいております。

タイトルの内容について、ご意見を頂戴したく。

妻の話なのですが、現在精神的な病にかかっております。
いわゆる、躁鬱病という病です。

病が原因…と言えば、それまでなのですが、何とか妻の思うコトを理解したいと思い、相談させていただきました。

妻は、口癖のように「疲れた」「辛い」「死にたい」と言っています。
そんな言葉に対して、私は色々な言葉をかけています。

しかし妻は「死にたいと思ったことがない人には理解できない。理解できない人には何も言われたくない。」と言ってきます。

この言葉…
正直、私には反論ができません。
"死にたい"と思う気持ちは知れても、全く理解ができないのです。
私は、死ぬほど辛いなら逃げればいい。生きていればいいコトがあるかも!?と思っているタイプです。

ここからが質問です。
妻に限らず、人が死にたいと思うということは、どういうことなのでしょうか?
また、妻にはどのような言葉をかければ良いと思いますか?

皆様のご意見をお聞かせいただければと思います。
ぜひ、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

わからないままでも認め、受け止め、分かち合う

ご相談拝読しました。

奥様が死にたいと思うくらいお辛いお気持ちなのはもちろんですが、あなたもまたかなりお辛い状況であるとお察しします。じっくりと落ち着いて向き合っていきましょう。

私としては「理解する」という方向性より、「理解できないということを認める」という方向性に転回してはどうかと思います。
なぜならは私たちは他人の気持ちなど微塵もわからないからです。わかった気になってしまう方が危うい面もあります。どこまでも私が理解している相手の気持ちは私の想像に過ぎません。

ですからまずは、あなたが理解できるかどうかに関係なく奥様が死にたいと思っていることを認めることでしょう。
死にたいのはあなたではなく奥様なのですから、たとえあなたが理解できなくても奥様のどんな気持ちでも否定したりはできないのです。

あなたが理解できるかどうかではなく、奥様が感じていることをそのまま「そうなんだね」と認めて一緒に受け止める。その上でお互いに相手のその気持ちを理解できない二人が何をすべきか考えていくのです。

私ならば、

「わからない。でも、わからないからこそわかりたいと思うし、たとえわからなくても一緒にいたい。」

ということを伝えます。そして、

「死にたい気持ちは間違いじゃない、悪いものなんかでもない。感情は起こすものでなく起きるもの。自分の思い通りにはならないもの。勝手に湧き上がってきたもの。だから奥様が悪いわけじゃない。
きっとその気持ちになってしまうくらい苦しい事があるのだと思う。それを一緒にシェアしていきたい。」

とも伝えたいと思います。

あなたはあなたの言葉であなたの気持ちを伝えればよいのです。何が正解かなんかではなく、あなたの嘘偽りのない気持ちを本気で真摯に伝えるのです。
その際くれぐれも奥様の気持ちは奥様のものであり、あなたが理解できるかどうかは関係がないという事実をおさえておきましょう。

「死にたい」というのは「死ぬ」という苦痛がともなう行為をしたいわけではけしてなく、「死んでいる状態になりたい」。
つまり「消えたい」「無になりたい」「楽になりたい」と思うくらい今が苦しく辛いのでしょう。そのことは何よりも認めてあげなければいけません。いや、あなたが認めるかどうか以前に奥様は苦しいのですから。

あなたもお辛いと思います。いつでもここでご相談ください。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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死にたい=現実から逃げることが出来なくて辛い

こんばんは。亀山純史と申します。

私自身、鬱病の方との接点を持ったことがないので、鬱病の方の「死にたい」などという具体的な発言がどのような意味を持つものなのか、私には専門的なことはわかりません。したがって、これからお話しする内容は、私が推測する範囲内での回答として受け止めてください。

さて、「人が死にたいと思うこと」の答えは、「死ぬほど辛いなら逃げればいい。」というあなたのコメントに、そのヒントはあるように思います。

奥様は「辛い」ということを「死にたい」と表現しているのです。そして、「死」とは「現実からの逃避」を意味していると思います。まさに奥様は、今の辛い現実から逃げたいのです。でも、逃げることが出来ないでいる。だから、「死にたい」のです。

現実の何が奥様を辛くさせているのか。そしてなぜ、そこから逃げられないのか。「逃げればいい」は、今の奥様には出来ないことであることを、理解してあげましょう。「逃げることが出来なくて辛いんだね。」と声をかけてあげてみてはどうでしょうか。

以上が私からの回答になります。微力ながらもご参考になれば幸いです。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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表裏一体

拝読させて頂きました。
死にたいと思う気持ちと生きていきたいと思う気持ちはコインの裏表の関係です。
いつでもそれは入れ替わるのです。
そのように感じることは人としてこの世に生を受けたことから始まっているのです。
ですからどちらもあるのが私達なのです。
どうぞそのような私達であることを少しずつ思ってくださいね。
生きていくことの中にそのような思いも含まれるのです。

どうか共に分かち合い慈しみを持ってくださいね。不思議なかけがえのないご縁でつながっていらっしゃるのですから。

あなたと奥様がこれから本当に心から豊かな毎日を共に分かち合い生きていかれますようにと心からお祈りさせて頂きますね。

ゆっくりと心穏やかになさってくださいね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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風邪をひいたら自然に熱が出ますよね。
熱が出ることによって免疫力を高め風邪を治そうとする体の自然の働きです。
意識しなくても勝手に熱がでるのです。
それと似ています。
うつ病になると精神的な辛さから逃れるために死にたいと思うようになるのです。
意識しなくても勝手に死にたいと思ってしまうのです。
ですから、適切な治療と周りの協力が必要です。
あなたはうつ病ではないし、なったこともないでしょうから、理解できないのは当然のことです。それはしかたないのです。
ただ、うつ病になるとそのような症状が自然に起こることを知識として知っておいてください。
奥さんには、生きてていいよ、と毎日声をかけてあげてくださいね。
奥さんの、死にたい、という言葉に拒絶反応を起こさないように、自分の心を冷静に保って、優しく、生きてていいよ、と言ってあげてくださいね。
躁鬱病とのことですから、数ヶ月や数年で繰り返されるかもしれません。
躁状態に入ればハイテンションになるでしょう。
でも、あなただけは気持ちを落ち着かせて対応してあげてくださいね。
また、医師やカウンセラー、奥さんの親や子どもや友人とも連携してあなた1人で抱え込まないようにしてくださいね。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
ご回答、本当にありがとうございます。

まずは、現状から報告させていただきます。

相変わらず妻の口からは、「死にたい」という言葉が出てきます。

私は今まで、妻の「死にたい」という言葉を肯定して(認めて)しまうと、本当に自殺してしまうのでははいか。。。
という漠然とした恐怖と不安を抱えていました。
そのため、「「死にたい」なんて言わない方が良いよ!」「自殺なんて…!」という言葉を返しておりました。

しかし、ここで回答いただいたことを思い返しながら妻と会話していて、「死にたい」という言葉に対し、 「そうなんだね」「そんな状況なら死にたい。楽になりたい。と想うことも理解できるよ」という、認める方向に伝え方に変えたところ、妻からは予想以上にスッキリとした返答が返ってくるようになっております。

きっと、妻自身も不満や苛立ちなど、自分の意図しない部分の感情が非常に強く影響していて、自殺や死にたいという言葉が口に出てしまっているのではないかと思います。

その言葉は嘘ではないと思います。また、本心でもないと思います。
非常にバランスが難しいところです。

ただ一つ感じたのは、何事に関してもまずは妻が何を思うかを知り、それから認め、正面から向かい合っていくことが重要なのだと感じました。
まだ病気の状況はあまり変化ありませんが、妻がまだ生きているということ。私自身が健康でいられることに感謝して、妻と真正面から向き合って行きたいと思います。

ご回答、本当にありがとうございました。
またご相談させていただくこともあるかと思いますが、その際はよろしくお願いします。
 
ありがとうございました。

P.S . 
一向寺 Kousyo Kuuyo Azuma様

表裏一体。とのコメントありがとうございます。
生きているからこそ、死にたいと思う。死を意識する。。。
凄く難しいですが、その通りだと思いますし、理解できます。

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