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祖父の死からもうすぐ2ヶ月です

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有り難し有り難し 16

先日、約2ヶ月間の入院生活を経て、祖父が亡くなりました。祖父は持病があったものの、ずっと元気でした。訳あって私と祖母と3人で暮らしていましたが、洗濯・掃除以外の家事は祖父がやっており、車での送り迎えや、料理など、私の生活の中心に祖父の存在がありました。
突然の脳内室出血により、緊急入院、2週間の間に三回の手術、1ヶ月間の救急病棟での入院生活、その後通常の病棟へ移動、そしてリハビリの病院へ転院し、転院から一週間せずに亡くなりました。
最初の病院へは、ほぼ毎日私がお見舞いに出向き、少しの時間でも祖父と共に過ごしました。小さい頃から祖父母にたくさんお世話になっていた私は祖父が大好きで、両親よりも大切な存在だと考えていました。
そんな祖父が亡くなり、心の底から悲しく、辛いはずなのに、冷静に受け入れている自分もいて、今までとなんら変わらない生活を送っています。
時々、辛くて悲しくてどうしようもなくなり、もう祖父がいない現実を受け入れているようで、まだ全然受け入れられないのだと実感します。というか、色々なことが急に起こりすぎて、全くついていけていないという感覚です。
それでも私の生活は変わらず続いており、時間は流れて、一緒に過ごした日々、病院での生活、祖父が生きていたことすら忘れてしまいそうな気がしてこわいです。
昔から私は家族の前では泣けないし、素直な思いを口にすることもできません。自分が何を思っているのかもよくわかりません。
受け入れられないのに、忘れてしまうのが本当に怖いです。どうやったら受け入れて生きていけますか。なんだか空っぽになった感じがして、自分が自分を生きている感覚がなくて、苦しいです。
普通に生活出来ているということは、本当は受け入れているということでしょうか。
わかりづらい質問ですが、誰か助けて下さい。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愛しい人と別れても、しっかりと自分の人生を生きていく

 人生にはいろんな苦しみ悲しみが付いてきます。仏教では、其の苦しみについてかなり詳しく分析しておりますが、一般には四苦八苦という考え方にまとまられています。その中の一つに「愛別離苦」があります。愛する人大切な人と別離する苦しみのことを言います。この度のお祖父様との別離はまさに愛別離苦であると思います。

 私事ですが、8年前の11月に父親が亡くなりました。血液性の病気(白血病のたぐい)になtって、4か月でした。その4か月後に母親が同じような病気で亡くなりました。父親の一周忌法要の日に兄嫁が癌で亡くなりました。喪主を勤めた兄の辛さ悲しみにも到底及びませんが、私もショックでした。かなり落ち込みました。でも喪主である兄を支え、一つ一つ葬儀や法要を落ち度無く勤めるよう必死でした。私は私で自分の寺の住職としての仕事もありますので、悲しみに浸ってばかりで居られませんでした。

 こういう悲しい別れを経験したくはないですけど、残念ながら人生の中で幾たびかこういう経験をせざるを得ません。一生に一回なんてものじゃありません。みどりさんには家族が居て、友人が居て、いろんな仲間が居ると思います。大切な人が居れば居るほど、何度も何度も悲しい別れを経験するしかありません。どんなにつらく悲しくとも、今の自分の生命を大切にししっかりと日々の生活を送っていくことが、残されし者の務めです。亡くなった方々のためにも、みどりさんが日々しっかりと生きていくことが大事です。
 どんなに大切な方を喪ったとしても、其の方のことばかり考えていることは出来ません。生きている限り、今日一日の生活、今目の前にある仕事に取り組まざるを得ません。亡き人のことを思い出すこともあれば、それはそれで構いません。亡き人の思い出すことなく、其の日其の日の贈らざるを得ないことも多いですよ。今をしっかりと生きていることこそ、お祖父様への一番の供養です。

 「ショックも大きいです。突然御逝去したことは、なかなか自分の中で整理できません。でも、毎日頑張って生きてます。節目節目(四十九日、百箇日、月命日、彼岸、お盆、一周忌等)には心込めて御供養させていただきます。」という気持ちで、お位牌に手を合わせてあげましょう。。

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有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

回答をいただき、ありがとうございました。
今もなお、受け入れられているようないないような、実感がわいているようないないような、。まだまだ整理しきれてはいませんが、祖父に対するこの想いと共に私は私の人生を歩んでいかなければならず、いま目の前にある生活をただただ生きていくことこそが使命なのだと、改めて思い直すことができました。
祖父の存在の大切さをこれからも忘れぬよう生きていきます。ありがとうございました。

「身近・大切な人の死に泣けない・悲しくない」問答一覧

身近なものを愛せないし死が悲しくない

今日知り合いの友人が亡くなったとLINEで来ました。学生の頃からの友人で多分40歳くらいだと思います。 辛いだろうなと思いつつ気持ちが分からず、とりあえず、「かわいそうだね。無理せず頑張って」と送りました。もっと何か言えないかなと思いながらもそれしか思い浮かびませんでした。その人が、人と時と場合によって性格が変わり、仲良くしてる人でも悪く言う人なのもあるかもしれませんが。 昔は思ってなくてもどう言ってあげれば相手が喜ぶかとかよく分かったのですが、今はさっぱりわかりません。 35歳ぐらいに自分で飼った2匹目のねこが死んだあたりから、ペットも含め誰かを愛せませんし、身近な人が死んでも多分悲しくないと思います。  だからといっていじめたりはしません。そうゆうことは嫌いです。 猫が死んだときホントに悲しくて、主人が寝れるのもご飯が食べられるのも理解できませんでした。  でも、今は夫婦して親から絶縁されており、今飼っている猫に依存している主人は、多分何もできなくなって仕事も辞めるかなと思います。何日もなくかもしれません。 それを思うと私は今から面倒です。 私はおかしくて冷たいでしょうか? 今友人を亡くした知り合いに、この先猫を亡くして絶望する主人に、なんて言えばいいのか、どうしたらいいのか、全く思いつかなくて困っています。というか不安です。 不謹慎な質問かもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 41
回答数回答 2

大切な人を失うのが怖い

数年間、親代わりのようにお世話になっているご夫婦がいらして、その旦那様が、今年1月に突然亡くなられたという知らせを受けました。 コロナ禍な上、家族葬で、私は最後に一目会うことさえ叶いませんでした。そして私は、未だに旦那様が「亡くなった」とはどうしても思うことができず、この話題になると、他人事というか、まるで別世界の出来事のように感じます…。普段、どうでもいいことで泣く私ですが、この件に関しては一度も泣くことができず…私は冷たい人間なのかなぁと、奥様にも申し訳なさでいっぱいです。どうにかして心の整理をつけようと試みたのですが、この半年以上、ずっと気持ちの落とし所がない状態です。 そんな中、唯一私が何かを感じるのは、奥様とお会いした時の別れ際です。これが奥様との最後の会話になったらどうしよう、どこか遠くに行ってしまったらどうしようと、怖くて怖くてたまりません。時間が経てば、怖い気持ちも無くなるのかな、と思っていたのですが、無くなるどころか、恐怖は膨らむばかりです。奥様とお会いした時の時間が、楽しければ楽しいほどに…。 旦那様に対する気持ちも変わることはなく、奥様を失ってしまうのがとにかく怖くて…。こうしている時間さえ惜しいくらい、奥様とは一回でも多く会いたい、1分でも1秒でも一緒にいたいと思うのですが、その分恐怖を感じます。これから私は、どのように旦那様と、奥様と向き合っていけばいいのでしょうか?

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誰が死んでも何も感じない

現在33歳、自営業。 大学の時からお世話になっている、私に、本当にやりたいことで生きていくための、生き方や在り方を教えて下さった、メンターとして深い恩のある先生が亡くなった。 ショックではあったが、涙が一切出なかった。 先生には言葉で言い尽くせない恩がある。 私が何度引きこもってしまっても、決して見捨てず、私を信じ、見守って下さった。 いつ何時でも私たちを思いやり、命をかけて導いて下さった。 私の良いところをさらに伸ばすために、アドバイスを下さり、なかなか上手く出来ない自分にも、根気強く、出来るまで導き切って下さった。 そんな深い恩のある先生が亡くなっても、一切涙が出なかった。 おそらく親兄弟が死んでも、何も感じないと思う。 どこで誰が野垂れ死んでいようと、一切関心がわかない。 先生が亡くなって、涙が出ないことがショックだった。 今の悩みは、いつも「死にたい」という自己否定を感じていること。 本当に自殺したいわけではないが、行き辛さを感じている。 夢ややりたいことも無く、希望や楽しみも無い。 ただ死んでいないだけという状態。 どうすればいいか分からない。 ただ生きるのが辛い。 助けて欲しい。

有り難し有り難し 20
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父の死に対して、自分がわかりません

一昨日の晩、父が亡くなりました。 父は四年ほど前に脳梗塞で倒れ、半身麻痺と高次脳機能障害を患い、会話もできず、話しかけたことに反射的に頷くだけの状態になってました。 意思疎通ができているのか分からない状態でしたが、少しでも良くなれば、と思い、入院していました。 最初の1-2年はリハビリも出来ていましたが、3年目になってくると面会に行っても眠っていることが多く、一方的に話しかけるだけになってました。 1年前、コロナの予防のため面会が出来なくなり、月に一度、15分のビデオ通話をしていました。 一昨日の夕方、父の容態が急変し、今際の際で「ありがとう」「よく頑張ったね」「お父さんの子供に生まれてきてよかった」と本心から伝えました。 そのせいか、まだ二日目だというのに「やり切った」という気持ちがあるのです。 「父はよく頑張った」「私も、家族もよく頑張った」という気持ちが出てきてしまってます。 こんな早く、割り切り始めている自分がすごく嫌です。 大好きだった父への想いはそんなに浅いものだったのか、と自分が信じられません。 実は、二年前、母が介護鬱を発症しました。 今も自宅療養をしていて、一日中ベッドから起きれない日も多いです。 母が重度の鬱になったのを「父が倒れなければ」と思ったこともあります。 母を自宅で看ながら、父の面会に行く忙しさにイライラしたこともあります。すぐに「そんなこと考えて死んでしまったらどうするんだ!」という気持ちが出てきて、イライラは消えるのですが、その瞬間は確かにあったのです。 また、これは完全に自分の責任ですが、仕事、看病、面会、各種手続きなどで疲労が溜まっていたせいか、一年ほど前に、事故を起こしてしまい、罰金刑を受けました。あの日あんなに疲労していなければ、と時々思ってしまうのです。 (お相手の方を骨折させてしまいましたが、命に別条はなく、リハビリも終えられているとのこと) それでも、父に会うたび、今際の際で「良い人生だった」と思って欲しい、そのために何かしてあげたい、という気持ちが湧いたのも事実です。 父の死が悲しいのか、よく頑張ったと見送れる気分なのか。 今抱えている悲しさや悔しさは、父の死に対してなのか、「父の死をきちんと悲しめない善き人ではない自分」に対してなのか。 私は人として間違っているのか。 今、自分がわかりません。

有り難し有り難し 10
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忘れてしまいたいです

こんな質問、お坊さんにさせて頂いてもいいものか、迷ったのですが悩んでいます。どうか質問させてください。 私は思春期に両親共になくしました。 現在は大人になり普段は忘れて楽しく生活していますが、ふと、例えば故人の誕生日、命日が来た時、親戚からお仏壇にあげて!とお菓子が送られてきた時など 思い出して現実に引き戻されます。 その度に情緒が不安定になり泣いたり食欲がなくなったりで困っています。 私にとって両親をなくしたことは人生において最も邪魔な記憶であり、思い出したくないことです。 仲が悪かった母のことはもちろん、過労死の父も思い出す度に色々な感情が湧き上がってきて心がぐちゃぐちゃにされます。 出来れば全て忘れて、無かったことにして、自分の人生を前向きに歩きたいです。 仏壇も母が買ったものなので今すぐ捨ててしまいたいです。お菓子なんかあげたくない。もう私には関係ない。思い出したくない。 両親に関わる全てのものを視界から消したい。 記憶が消えたら、思い出さないでいられたらどれだけ楽か、さわやかな毎日なのかと考えています。 親不孝でしょうか。バチあたりでしょうか。でも忘れたいです。 許されないことでしょうか。

有り難し有り難し 26
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ