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祖父の死からもうすぐ2ヶ月です

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有り難し有り難し 15

先日、約2ヶ月間の入院生活を経て、祖父が亡くなりました。祖父は持病があったものの、ずっと元気でした。訳あって私と祖母と3人で暮らしていましたが、洗濯・掃除以外の家事は祖父がやっており、車での送り迎えや、料理など、私の生活の中心に祖父の存在がありました。
突然の脳内室出血により、緊急入院、2週間の間に三回の手術、1ヶ月間の救急病棟での入院生活、その後通常の病棟へ移動、そしてリハビリの病院へ転院し、転院から一週間せずに亡くなりました。
最初の病院へは、ほぼ毎日私がお見舞いに出向き、少しの時間でも祖父と共に過ごしました。小さい頃から祖父母にたくさんお世話になっていた私は祖父が大好きで、両親よりも大切な存在だと考えていました。
そんな祖父が亡くなり、心の底から悲しく、辛いはずなのに、冷静に受け入れている自分もいて、今までとなんら変わらない生活を送っています。
時々、辛くて悲しくてどうしようもなくなり、もう祖父がいない現実を受け入れているようで、まだ全然受け入れられないのだと実感します。というか、色々なことが急に起こりすぎて、全くついていけていないという感覚です。
それでも私の生活は変わらず続いており、時間は流れて、一緒に過ごした日々、病院での生活、祖父が生きていたことすら忘れてしまいそうな気がしてこわいです。
昔から私は家族の前では泣けないし、素直な思いを口にすることもできません。自分が何を思っているのかもよくわかりません。
受け入れられないのに、忘れてしまうのが本当に怖いです。どうやったら受け入れて生きていけますか。なんだか空っぽになった感じがして、自分が自分を生きている感覚がなくて、苦しいです。
普通に生活出来ているということは、本当は受け入れているということでしょうか。
わかりづらい質問ですが、誰か助けて下さい。

2018年9月15日 20:07

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愛しい人と別れても、しっかりと自分の人生を生きていく

 人生にはいろんな苦しみ悲しみが付いてきます。仏教では、其の苦しみについてかなり詳しく分析しておりますが、一般には四苦八苦という考え方にまとまられています。その中の一つに「愛別離苦」があります。愛する人大切な人と別離する苦しみのことを言います。この度のお祖父様との別離はまさに愛別離苦であると思います。

 私事ですが、8年前の11月に父親が亡くなりました。血液性の病気(白血病のたぐい)になtって、4か月でした。その4か月後に母親が同じような病気で亡くなりました。父親の一周忌法要の日に兄嫁が癌で亡くなりました。喪主を勤めた兄の辛さ悲しみにも到底及びませんが、私もショックでした。かなり落ち込みました。でも喪主である兄を支え、一つ一つ葬儀や法要を落ち度無く勤めるよう必死でした。私は私で自分の寺の住職としての仕事もありますので、悲しみに浸ってばかりで居られませんでした。

 こういう悲しい別れを経験したくはないですけど、残念ながら人生の中で幾たびかこういう経験をせざるを得ません。一生に一回なんてものじゃありません。みどりさんには家族が居て、友人が居て、いろんな仲間が居ると思います。大切な人が居れば居るほど、何度も何度も悲しい別れを経験するしかありません。どんなにつらく悲しくとも、今の自分の生命を大切にししっかりと日々の生活を送っていくことが、残されし者の務めです。亡くなった方々のためにも、みどりさんが日々しっかりと生きていくことが大事です。
 どんなに大切な方を喪ったとしても、其の方のことばかり考えていることは出来ません。生きている限り、今日一日の生活、今目の前にある仕事に取り組まざるを得ません。亡き人のことを思い出すこともあれば、それはそれで構いません。亡き人の思い出すことなく、其の日其の日の贈らざるを得ないことも多いですよ。今をしっかりと生きていることこそ、お祖父様への一番の供養です。

 「ショックも大きいです。突然御逝去したことは、なかなか自分の中で整理できません。でも、毎日頑張って生きてます。節目節目(四十九日、百箇日、月命日、彼岸、お盆、一周忌等)には心込めて御供養させていただきます。」という気持ちで、お位牌に手を合わせてあげましょう。。

2018年9月16日 0:19
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有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...

穴とは存在の大きさであり、重さである。

ご質問を拝読させて頂きました。
本当に辛いですね。淋しいですね。
あなたの今の心のうちは痛いほど分かります。
私も生活を共にしていた祖母が今月初めに倒れて、危篤状態が続いています。
意識は戻らず、辛うじて自発呼吸が出来ている状態ですが、口を大きく開けてベッドが揺れるほど苦しそうに呼吸している姿に、胸が締め付けられる思いです。
おそらく、長くはないでしょう。

しかし、私を含めて家族みんながどれだけ辛い思いをしていても、世の中は何事もなく進み続けます。
世の中は私を中心に回っているわけではないので、当たり前の事ではあるのですが、一方で、それはこれまで私たちがしてきた事でもあります。
人との関わり方が甘かったのかもしれませんね。
私たちが鈍感であっただけで、周りの方々もこんなに苦しかったのだと恥ずかしながら初めて気付きました。

もちろん、遺された人は生きていかねばなりませんので、どんな精神状態でも日常に戻らねばなりません。
でも、そんな日常の中でぽっかりと穴が空いたような寂しさがあると思います。
その穴がこれから埋まるのかどうかは分かりません。
けれども、その穴が人の存在の大きさであり、重さでもあります。
それは非常に大切な事であり、忘れてはいけません。

そして、それは他者への「共感」に繋がります。
辛い思いをした人は、他者の気持ちが分かる。
辛い時に隣に誰かが共に泣いてくれるだけで、どれだけ救われるでしょうか。
あなたは、その誰かになれます。
この心を仏教では、「慈悲」と呼びます。
これは、お祖父様があなたにもたらしてくれたものです。
どんな経験でも必ず糧にしていかないといけません。
そうして糧に出来たならば、お祖父様が亡くなられた事は決して意味のないものではないはずです。

2018年9月15日 21:12
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有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


臨済宗寺院の住職です。皆様の良き御縁となる事が出来れば幸いです。

質問者からのお礼

回答をいただき、ありがとうございました。
今もなお、受け入れられているようないないような、実感がわいているようないないような、。まだまだ整理しきれてはいませんが、祖父に対するこの想いと共に私は私の人生を歩んでいかなければならず、いま目の前にある生活をただただ生きていくことこそが使命なのだと、改めて思い直すことができました。
祖父の存在の大切さをこれからも忘れぬよう生きていきます。ありがとうございました。

「身近・大切な人の死に泣けない・悲しくない」問答一覧

親族の死に対する気持ち

お世話になります。 身近な親族の死に対する私の気持ちはいったい何なのか、ヒントを頂ければと思い投稿いたします。 3年ほど前に父を亡くし、さらに先日祖母が亡くなりました。 父を亡くした際もこちらでご相談に乗っていただいたのですが、その時には「悲しい」という感情ではなく「申し訳ない」などの感情ばかりでした。 今回の祖母の死でも、「悲しい」ではなく「お疲れ様、頑張ったね」という気持ちがほとんどなのです。 もちろんまったく悲しくないというわけではないのですが、一般的な「悲しい、つらい、会いたい、死なないで」などといった感情にはならないのです。 これは身内に限ったことのようで、たとえば好きな芸能人の訃報にはとても悲しくて「もう会えない、もう声が聞けない」と泣いてしまいます。 一方、親族に対してはやはりそこまでは悲しくなく、心で生きているような、そんなに遠くに行っていないようなそんな気がして大して悲しくはないのです。 顔を見れば「もう会いたいと思った時に気軽に会えないし話せないのだな」と思って少し寂しくは感じるのですが、何度も言うようですがやはりそんなに悲しくはありません。 この感情?気持ちはいったいなんなのでしょう。 時々私は薄情なのか、親族がそれほど嫌いなのかと考えてしまいます。 ヒントとなるようなご意見を頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 2
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祖母が亡くなったのに泣けない

初めまして。 タイトルの通り、先月祖母が亡くなったのに、未だに泣けないでおります。 祖母には私が幼い頃から本当に可愛がってもらいました。 朗らかで穏やかで優しい人で、一度も怒ったところを見た事がありません。そんな性格だったので周囲の人にとても好かれ、葬儀の時は皆涙に暮れる、といった様子でした。 祖父が十年前に亡くなってからは病気がちになり、実家に戻り出来る限り祖母を介護しました。 介護を一度も苦痛とは思いませんでしたが、祖母はいつも「申し訳ない」と謝っていました。 この一年ほどは病院と施設を行ったり来たりでした。私は医師なので数えきれないほどの死を見ており、祖母もいつどうなってもおかしくない状態という事は理解しておりましたし、覚悟もしているつもりでした。 ただ、祖母が亡くなったら自分は生きていけないのではないか、と不安に思っていました。 ところが、先月祖母が亡くなった時から今まで少しも涙が出ず、それどころか悲しいという感情すらありません。 時折「寂しいな」と思う事はあります。しかし持続しないというか、考えないようにしてしまうのです。 葬儀の際、周囲の方から口々に「おばあちゃんはいつもあなたの事を話していた、本当に感謝していた」と言われました。 涙も出ない冷酷な私が、祖母に感謝してもらう権利はあるのかと思います。 泣けない、悲しいと思わない事は異常だと分かっていますが、自分でも自分の心理が全く分かりません。 こんな薄情な孫を祖母は悲しんでいないか、とても気がかりです。

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友人の死に現実感が無く、悲しい気持ちがわきません

先日高校時代の友人が亡くなったと弟さんから連絡がありました。 亡くなった後、高校時代の友人の連絡先が分からず葬儀までに連絡をつけられなかったそうです。まだ48歳の若さでした。 しかし35歳で肝臓がんを発症し、13年間闘病してよく頑張ったと思います。 33年間友人として付き合い、20代~40歳まで2、3ヶ月に1度は友人4人で旅行に行っていました。その後はSNSを通じ近況を報告しあい、年末年始、GW、夏休みのたびに食事に行くのが恒例になっていました。 亡くなる数日前からSNSの更新が無く、メールや電話をしても応答が無く、心配をしていてもしかしたら・・・という思いもありました。 弟さんから連絡があった後、一緒に旅行に行っていた3人で亡くなった友人の自宅へ行き、お別れの挨拶をして、ご両親と思い出話をしてきました。 しかし遺影、位牌、お骨の入った箱を目の前にしても友人の死に現実感が無く、悲しい気持ちになれませんでした。今でもメールをしたり電話をすれば「おう」と返事をしてくるのではないかと思ってしまいます。 父親や親戚が亡くなった時は葬儀に参加したため、悲しみの感情がわき、死を受け入れることが出来たのだと思っています。 友人の葬儀に参加できなかったことは残念でしたが、ご家族から連絡をもらえてお別れを言えてよかったと思います。でも今でも悲しい気持ちがわかず、自分が冷たいのか、それとも現実感が無いから悲しい気持ちがわかないのか自分でも分からず混乱しています。 友人の死に現実感が無く悲しい気持ちも無いままに亡き友人を思い出したりご両親や友人と故人の話をしたり、気持ちがこもっていないのにお墓参りなどに行っていいのか分かりません。 私は冷たい人間なのでしょうか?。今後どのようすれば友人の死を受け入れることが出来ますでしょうか。それとも今のままでよいのでしょうか。 是非ご意見をいただければ幸いです。

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父の死についての心の持ちよう

先日、父が亡くなりました。 半年ほど入院していて、ずっと家に居なかった上に、容態の急変で死に目には会えず、遺体は病院から葬儀社へ直行したため、父の死が実感できません。 火葬の日まで、祭壇を家に置くことを葬儀社から案内されましたが、断りました。家に帰って祭壇を見るたびに、父はもう死にました!と突き付けられるのが、どうしても嫌だったからです。 こう思うこと自体、親不孝なのでしょうか。 数日後に父を火葬します(通夜は行わず、葬儀は火葬後に父の故郷で行います)。お伺いしたいのは、その火葬の日までに、父の死としっかり向き合い、覚悟を決めて火葬に臨むべきなのでしょうか。 今、心をどこにどう置いていいのか、とても迷っています。 父の遺体と2度ほど対面しましたが、穏やかな顔してるね~と私は笑うばかりで、まだ一度も泣いていません。 遺体を前にしても、変な違和感と、どこか他人事のような感覚…というよりは他人事にしたい感覚というか、死と向き合うことから逃げているのかもしれません。 こうして文章を打っていると涙が込み上げてきますが、それでもまだ死と向き合えずにいます。 今、私は心をどう置くべきなのでしょうか。

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